創立79年目 学び成長し続ける富勢中
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3月24日(月)令和6年度修了式
〇本日は令和6年度修了式を行います。今年度の登校日数は1学年が196日、2学年が199日でした。
〇私の話の中では、先日の卒業式で卒業生に送った言葉を引用します。
世の中は常に便利さを追求し、コンビニでは何時でも欲しいものがすぐに手に入り、わからないことは手元のスマホで検索すれば、それなりの情報が得られます。もっと言えば、我々が「当たり前」と感じているこれらの「便利さ」は、「何かにすぐにパッと飛びつく習性を嫌でも身に付けてしまうこと」に直結しています。ただし、生きていて迷ったり悩んだりした末に、自分で考えることをしなければ、それらは決して解決の方向に向かいません。
私が一番危惧して訴えたいことは、ズバリ『面倒くさいと言わない』と『窮屈さを楽しめ』ということです。皆さん日常生活の中で普段から「面倒くさい」が口癖になっていたり、人との人間関係が「窮屈でしかない」と思っていたりしないかを振り返ってみてください。学校に行くこと、学ぶこと、人とつきあうこと、つまり生きていくことは基本的には「面倒くさくて窮屈なこと」なのです。
ただ「便利さ」に慣れ、自分で考えもせず、他にすぐに答えを求めようとし、それが得られないと条件や他人のせいにしていては、「いざ」というときに逃げてしまうしかありません。逆にある程度の「不便さや窮屈さ」があるから、それを克服しようと自分の能力が引き出され、成長できるということを再認識していく必要があります。
そもそも「人は何故生きるのか」等の大きな課題は、簡単に答えを得ることはできません。自分で悩み考える中に、今の自分を見つめ他の人の考えを参考にし、右往左往しながら生きていけばよいのです。
脳科学者である茂木健一郎氏は、一般的な特徴として、「現代人は身体性を忘れた志向性のゲームをしている」と指摘しています。要するに、自分は何もせず、人や機械に指示するだけで済まそうとする、これは効率が良いというよりは、ただ楽したいだけです。
茂木氏はまた「何度も考えて口に出すだけでなく、実際にやってみるとその大変さがわかり、人工知能AIは言語ゲームのみで生身の人間と比べると身体性がないなど、私たちの誤解を教えてくれています。アメリカメジャーリーグで超人的な活躍をしている大谷翔平選手は、決して言語ゲームではなく、何かを身体を使ってやっているので、その発する言葉にはリアリティーがあります。」と続けています。
私も六十年以上生きてきて一番実感しているのは、『失敗を成功で上書きする』ことが人生の醍醐味だということです。少し大袈裟かもしれませんが、失敗を失敗のまま終わりにせず、それを小さな成功つなげていけば最終的に『私は失敗しません。なぜなら失敗をそのままにせずに次にいかすから』と堂々と人前で言い切ることができます。
〇修了書を各学年代表2名の生徒に授与します。そこには「本校〇学年の課程を修了したことを証します」とあります。1年生の代表生徒には「入学してあっという間に1年がたち成長しましたね」と、2年生の代表生徒には、「4月からいよいよ最上級生ですね、頑張って」と声をかけるつもりです。
〇その後、令和6年度末で転退職する教職員8名のお別れのあいさつを行います。氏名のみシグフィーでお知らせしていますが、まだ新聞発表前ですので、異動先の学校はつたえられません。私も「生徒達への最後のあいさつをどうしようか・・・?」と朝から迷っています。
〇結局、言葉でのあいさつはやめて、あすなろ学級の生徒と約束をしていた歌を1曲歌って終わりにしました。「何にしようか・・・?」と悩みましたが、3学期の始業式でその歌詞の意味を使って話をした「どんなときも(作詞作曲:槇原敬之)」にしました。
〇この歌は今から30年以上前の歌ですが、当時担任していたクラスの生徒たちとよく歌っていたので、覚えています。壇上でマイクを持つと手元の伴奏よりもはやいテンポで歌ってしまい、生徒たちも苦笑していました。でも彼らの手拍子に合わせて最後まで歌うことができました。
須藤昌英