校長雑感ブログ

1月9日(木)忘れられない「深くて難しい質問」

〇今から30年以上前、若い頃に担任をしていたクラスの生徒の一人から、質問を受けました。その具体的な場面は忘れました(多分昼休みだった?)が、突然「先生、『生きる意味』って何ですかね?」と尋ねられ私は一瞬絶句しました。ただその生徒は決して思い詰めるような表情ではなく、教室の窓から校庭をぼんやりと眺めながらつぶやいたのです。

〇いずれにせよ唐突な質問であり、私もまだ20歳代でしたので人生経験も浅く、ただその場の勢いで「これまで生きてきて、そんなこと考えている時間は自分にはなかったなあ~」とだけ答えた記憶があります。しかし本当は当時はまだそんな直球的な質問を大人として正面から受け止め、自分の言葉で答える自信がなかったというのが本心でした。以来他の生徒に「もし同じ質問をされたらどう答えようか?」が私の長年の課題意識になってきました。

〇そういう私が50歳半ばを過ぎたくらいに読んだ本に、「人の生きることに意味はあるのか?」に関して、考えさせられるトピックがありました。ある哲学者の実体験ですが、内容を要約して紹介します。

「その哲学者にはその道を志すきっかけになった100年前くらいの大哲学者(故人)がいました。とにかく彼は若いころからその大哲学者に強い憧れを抱いており、『あなたは将来どんな学者になりたいか?』と人から尋ねられれば、必ずその方の名前を挙げて答えていました。ある日京都で定例の学会があり、その晩にホテル近くの行きつけの小さなバーでいつものように一人でお酒を飲んでいました。すると後からその店に感じのよい紳士が来て隣に座り、お互いにボツボツ話を交わすうちに、相手が医大の先生であることがわかってきました。そしてその学者が自ら『自分は哲学者をしています』と自己紹介すると、その紳士が即座に『それは奇縁ですね。実は亡くなった私の祖父も哲学者でしたよ』と言います。学者は『そうですか、おじいさまのお名前を聞いていいですか?』と言ったその相手の答えに、その哲学者は思わず自席から立ち上ってしばらく直立不動となり、その紳士に深く頭を下げ、握手を求めた」という話です。

〇その哲学者は、「人は時として、存在するだけで他者に恩恵を与えることがある。その紳士も私を元気づけようとわざわざ京都まで来たわけではない。何気なく店に入ってきて、たまたま私の隣に座っただけ。ただ私の方は、尊敬する方のお孫さんに思いもかけずお会いでき、至極の喜びを感じた。そのお孫さんの紳士的なたたずまいを通して、尊敬する方を身近に感じることができた」と振り返っています。

〇さらに続けて「人はいつも、生きる意味を求めてあれこれ悩むが、『自分が存在するだけで、誰かを助けている』と思えるなら、それは素敵な生きる意味ではないか」と結んでいました。私はこれを読んだ時、他人事ながら深く感動しました。そして「人生において目には見えない縁があるのかもしれない」「人の強い思いは会いたい人を引き付けるのではないか」などと思いました。

〇今の生徒たちももしかしたら30年前のその生徒と同じような疑問をもっているかもしれません。もし30年前に戻ることができたなら、あの生徒(おそらく50歳くらいになっているはず)にもこの話をわけてあげたいです。

須藤昌英