校長雑感ブログ

11月14日(月)「個性を鍛える」について

○3年生との校長面接では、生徒は制服を着て校長室に入室し、迎える私は必ず上着を着用しています。生徒とは着ている制服の話をする時間はほとんどありませんが、ふと思い出したことがありました。

○今から20年前くらいに学級担任をしていたころ、生徒達と当時の学校の制服について、何度か話し合いしたことがありました。生徒達は、「決められた制服や頭髪の基準、またそれらの身だしなみなどの約束があるのは窮屈な気がする」と言っていました。もちろん私が中学生の頃も同じでしたが、「中学校の時だけの決まりだし、みんな同じだから」と感じるくらいで、当時の生徒のように「自由がない、窮屈」とまでは思いませんでした。

○そこで当時、あるインタビュー記事で映画監督の大林宣彦さんが、「制服」について学生に語っている文を見つけ、学級通信に掲載しました。引用します。「確かに制服はみんな同じで変わらないかもしれないけれど、その人が読んだ本、聴いた音楽などによって、まずその人の目の輝きや語る言葉が変わってきます。そうするとその同じ制服を着ていても、『個性』が出てくるんです。制服はファッションではなく、【心のあらわれ】です。同じものを着て窮屈で嫌と感じるとすれば、君の言葉を磨きなさい。君の目の輝きを磨きなさい。そうすると君の着ている制服は、君だけに似合う『個性』になるよ、と言いたいですね」

○映画監督は一つのテーマをいかに表現するかをいつも考えてそれを仕事としており、その「表現のプロ」が言っているので、言葉に重みがありました。私は学級通信に、その解釈として「つまり表面ばかりに目を奪われて本質を磨くことを忘れてはいけないということを教えてくれていると思います」と添えました。もちろん生徒達はすぐに納得していたわけではありませんが、生徒達の疑問に寄り添うかたちで、教員として一緒に学んでいたことは忘れることはありません。

○また大林さんはこうも言っていました。「制服というのは対話の手段なんです。人間どうしは対話をすることでお互いを理解しようとします。対話とはお互いの違いを知る作業で、君と僕はこれだけ考え方が違うんだね。だからお互いに価値がある。これが共存共栄の意味だと知るわけです。違いを知るためには、一つの同じ土壌にいなければダメなんです。そのルールが制服だと思えば、制服を着せられたからみんな同じだと思うのではなく、同じ制服を着ているけれど、僕はこういう言葉を語るし、君はこういう言葉を語る、そうするとその制服が違って見えるということからも、個性を鍛えることができると思いますね」

○後半の言葉は、当時大人であった私も深くうなづくものでした。今の中学生は、制服についてどう思っているのか。何かの機会で、今度聞いてみたい気がしました。

須藤昌英