校長雑感ブログ

12月10日(火)自分のトリセツ(メタ認知)

〇ご存じの通り「取説(とりせつ)」は「取扱説明書」を短縮した言葉で、カタカナで「トリセツ」と書くことも多いようです。10年ほど前に、若い女性の歌手が歌っていた同名のヒット曲を聴いた際、私も初めて取扱説明書を略してトリセツと呼ぶことを知りました。

〇トリセツには普通、その製品の「スペック(性能)や特徴」「正しい操作方法」「上手な使い方」「使用上の注意」「故障の見分け方」「安全に関する注意事項」などが記載されていますが、冒頭からすべて読む人は皆無でしょう。必要な時に該当箇所を読んで対処することがトリセツの目的だと思います。

〇このように家電などの操作を書いたトリセツはなじみ深いですが、「『自分のトリセツ』とはいったい何のことだろう?」と疑問に思う方もいると思います。簡単に言えば、「自分を知る」ということであり、日頃から統計的に「自分はこういう時にはこう考えたり行動したりすることが多い」と自分を客観視することです。

〇そのように、自分の「心や内側」に関心をもち、徐々に自分の「輪郭や本質」を理解することは、大人になる過程では欠かせないものであると思います。ただし「どうせ自分は~のような人間だから」と開き直るのではなく、今の自分を出発点とし未来のなりたい自分をイメージしながら、やりたいことやるべきことに取り組めることが理想だと思います。

〇自分のトリセツのきっかけになり得る一つの方法として、日記も有効です。また最近は日記に似ていますが、ライフログという記録方法も広まっているようです。ライフログとは、LIFE(生活)とLOG(記録)を組み合わせた造語で、日々の生活体験、気づいた情報などを紙や手帳、スマホのアプリやブログ等にデジタルデータとして記録していくことを指すそうです。それにその時の気持ちや行動も一緒に記録することで後で振り返りやすくなったり、自分だけのオリジナリティに富んだライフログとなったりするのが利点でしょう。

〇私も昭和から平成に変わる時、何か新しいことを始めよう(それまで簡単な手帳に出来事を書いていましたが・・)と思い立ち、本格的な日記帳を使い始めました。当時は25歳でしたので、間もなく37年になり、自宅には数冊の日記帳(3年日記、5年日記、10年日記など)があります。

〇日記から転じて「自分のトリセツ(メモ)を書く」にはまず、自分の強みや弱みを把握することから始めるのがよいと思います。人にはそれぞれ物事の見方や感じ方の癖がありますが、それを癖ではなく自分軸と捉え、生きていく途中に迷ったりつまずいたりした時に参考に見るメモがあれば、安心感を得るなどの大きな要素になります。

〇昔から「己事究明」といって、「自己とは何かを究めて明らかにすること」を若者は求める傾向にあります。先月に「一つのことを考え抜くのは大人への一歩」と題して「哲学」について書きましたが、中学生くらいになると、やたらに理屈っぽくなり、世の中の出来事も批判的に見るようになります。この屁理屈こそ中学生には大切ではないか?と思います。ただ外ばかりでなく、自己に対してもも批判的になりますので、極端に自己否定にならないようにすることも重要です。

〇自分のことを見つめることをマインドフルネスでは「内観」とも言います。よく生徒の学習や大人の仕事でも予習よりも復習が肝心だと言われますが、私も含め想像するに自分自身について丁寧に復習している大人はあまりいないのではないでしょうか。忙しいことを理由に、SNSなどの外部の刺激には反応しても、自分自身の身体にだけ意識を通し続けることは避けているのが実情でしょう。

〇自分のことを客観視する「自己モニタリング」は、ストレス対処やパフォーマンスの向上に役立つといいます。その自己モニタリングに欠かせないのが、「メタ認知」で、「メタ認知」とは「自分自身の認知(考える・感じる・記憶する・判断する等)を第三者的な立場から冷静に客観視できる能力」のことです。この能力によって自分が行っていることが正しいのか、また間違っているのであればどのように修正すればよいのかを判断することができるようになります。もちろん中学生にもこの能力は十分にあります。

〇メタ認知が高くなれば、自分の得意・不得意なことを的確に認識し、「自分ができないことをするためにはどうしたらいいのか?」という問いに対して自分で答えを出そうとします。この客観的な視点から自身を認識することと他人から見た自分の姿を一致させていくことで、本当の自己肯定感が生まれます。「自分には●●という長所があるので、それをいかして〇〇を頑張っていきたい!」とすべての生徒が言えるようにしていきたいと願います。

須藤昌英