R7_富勢中日記

1月20日(月)阪神淡路大震災から30年(自分事として捉えることから)

〇17日は阪神淡路大震災から30年が過ぎ、テレビの特集でもこの30年間で日本の防災対策が進んだ面と未だ遅れている面を伝える番組が多くありました。地質の専門家に言わせると、「日本地図を眺めると長年の傷跡(災害によって地形が変化)が手に取るようにわかります」となります。日本は災害大国であることは間違いありません。

〇私の長男は、阪神淡路大震災の次の日に生まれたので、先日ちょうど30歳になりました。当初の出産予定日がちょうど震災の日でしたが、なかなか生まれずに結局その晩は私も病院の待合室で朝まで過ごしました。生まれた1月18日の朝刊(今でも保管してあります)は、すべての新聞のトッブ記事は前日の震災を伝える大きな写真がありました。おそらく息子本人もそのことは今でも自覚していると思います。

〇震災当日に被災地で生まれた赤ちゃんも当時は大きく報道されました。確かそのお母さんは震災の午後に産気づき、一人で病院に何とかたどり着き、ものの15分で出産したというエピソードが記憶にあります。10年前にその男の赤ちゃんが成人式を迎えたニュースがありましたので、今は30歳になっているはずです。

〇あの震災の経験から学ぶことは重要であると誰もがわかっていますが、現実は目の前のことに忙しくあまり真剣に考えません。「もしかしたら自分の街でも今大きな地震が起きるかもしれない」と自分事に感じることは毎日は難しいかもしれません。

〇その後も日本各地で災害が起きるたび、そのことへの想定や準備の不足は指摘されます。しかし一気に「ここまで準備をしておけば大丈夫」というラインは明確ではないため、遅々としていると捉えられているのでしょう。

〇解剖学者で「バカの壁」などの多くの著書がある養老孟司氏は、たびたび日本という国の特徴を災害と結び付けて著書やYoutubeなどで発信しています。養老氏は「長い歴史を見ると、日本の社会を根本から動かしてきたものは、天災ではないか。最近、そう考えるようになりました。」と静かに断言しています。

〇養老氏の説を要約させてもらいます。

「日本では災害の後は必ず大きな変化が起こる(具体的には必ず法と秩序が表面に出てくる)。例えば「方丈記」に書かれているが、源平の争乱の時、1185年3月24日に平家が壇ノ浦で滅んだ4カ月後の7月9日に京都で大地震(M7.4)が起きている。その後、平安の貴族政治から鎌倉の武家政治へと変わっていく。近年では安政の時(1854年の安政東海・安政南海地震)には、安政の大獄(1859年)が起きている。災害時には極端に国論が分裂する可能性がある。その時に「暴力集団」がどっちにつくかで問題になる。やっぱり権力側になるでしょうから、どういう考え方の人をリーダーにするかで日本の未来が決まる。安政の地震の後は、安政の大獄から明治維新になっていく。・・・」

〇とても面白い視点だと思います。国の歴史がその国の地学と密接に関係していることがよくわかります。さらに氏は「今後起こるだろう社会を変えうるほどの大災害は南海トラフ地震でしょう。ある専門家は2038年と予測しています。もし安政のように、首都圏直下型地震も同時に起これば、あるいは富士山噴火も起これば、多くの人々の日常生活が変わらざるを得なくなります。もしそうなれば世の中はますます混乱し、それに日本という国は大きく変わっていくことでしょう。」

〇先日も「南海トラフ地震の今後30年間で発生する確率が80%に高まった」という報道がありました。身近なことから地震に備える行動につなげていくしかありません。

須藤昌英

【平成7年1月18日の朝刊トップ面】