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校長雑感ブログ

1月9日(木)忘れられない「深くて難しい質問」

〇今から30年以上前、若い頃に担任をしていたクラスの生徒の一人から、質問を受けました。その具体的な場面は忘れました(多分昼休みだった?)が、突然「先生、『生きる意味』って何ですかね?」と尋ねられ私は一瞬絶句しました。ただその生徒は決して思い詰めるような表情ではなく、教室の窓から校庭をぼんやりと眺めながらつぶやいたのです。

〇いずれにせよ唐突な質問であり、私もまだ20歳代でしたので人生経験も浅く、ただその場の勢いで「これまで生きてきて、そんなこと考えている時間は自分にはなかったなあ~」とだけ答えた記憶があります。しかし本当は当時はまだそんな直球的な質問を大人として正面から受け止め、自分の言葉で答える自信がなかったというのが本心でした。以来他の生徒に「もし同じ質問をされたらどう答えようか?」が私の長年の課題意識になってきました。

〇そういう私が50歳半ばを過ぎたくらいに読んだ本に、「人の生きることに意味はあるのか?」に関して、考えさせられるトピックがありました。ある哲学者の実体験ですが、内容を要約して紹介します。

「その哲学者にはその道を志すきっかけになった100年前くらいの大哲学者(故人)がいました。とにかく彼は若いころからその大哲学者に強い憧れを抱いており、『あなたは将来どんな学者になりたいか?』と人から尋ねられれば、必ずその方の名前を挙げて答えていました。ある日京都で定例の学会があり、その晩にホテル近くの行きつけの小さなバーでいつものように一人でお酒を飲んでいました。すると後からその店に感じのよい紳士が来て隣に座り、お互いにボツボツ話を交わすうちに、相手が医大の先生であることがわかってきました。そしてその学者が自ら『自分は哲学者をしています』と自己紹介すると、その紳士が即座に『それは奇縁ですね。実は亡くなった私の祖父も哲学者でしたよ』と言います。学者は『そうですか、おじいさまのお名前を聞いていいですか?』と言ったその相手の答えに、その哲学者は思わず自席から立ち上ってしばらく直立不動となり、その紳士に深く頭を下げ、握手を求めた」という話です。

〇その哲学者は、「人は時として、存在するだけで他者に恩恵を与えることがある。その紳士も私を元気づけようとわざわざ京都まで来たわけではない。何気なく店に入ってきて、たまたま私の隣に座っただけ。ただ私の方は、尊敬する方のお孫さんに思いもかけずお会いでき、至極の喜びを感じた。そのお孫さんの紳士的なたたずまいを通して、尊敬する方を身近に感じることができた」と振り返っています。

〇さらに続けて「人はいつも、生きる意味を求めてあれこれ悩むが、『自分が存在するだけで、誰かを助けている』と思えるなら、それは素敵な生きる意味ではないか」と結んでいました。私はこれを読んだ時、他人事ながら深く感動しました。そして「人生において目には見えない縁があるのかもしれない」「人の強い思いは会いたい人を引き付けるのではないか」などと思いました。

〇今の生徒たちももしかしたら30年前のその生徒と同じような疑問をもっているかもしれません。もし30年前に戻ることができたなら、あの生徒(おそらく50歳くらいになっているはず)にもこの話をわけてあげたいです。

須藤昌英

 

1月8日(水)自律神経を整える(2つの神経のバランス)

〇私は普段から移動する際には、徒歩の他に自転車、バイク、自動車などを利用しています。歩いていたり運転していたりする時に、最近よく気が付くことがあります。信号機のない横断歩道で待っている人に「一時停止」をして道を譲るドライバーが増えたなと思います。

〇そもそも法律で、「横断歩道は歩行者優先であり、運転者には横断歩道手前での減速義務や停止義務がある」と規定されています。昔は多くの人はこのことを知っていても、停車して横断歩道を歩行者が渡るまで待っている車はほとんどありませんでした。これからもこのような人が増えるといいなと感じます。

〇このことで思い出したことがあります。人間の自律神経に関して多くの研究を発表している順天堂大学医学部の小林博幸教授が何かの雑誌に「運転中に相手の車に道を譲るだけで、自律神経が整う」と書いていました。最初読んだ時は「まさか・・それだけで・・」と思いましたが、よく考えてみると確かに道を譲る時は自分の心や気持ちに余裕があり、さらに道を譲った相手がこちらに頭を下げてお礼をされると、もっと気分が良くなります。こんな小さなことでも人間の身体は微妙に反応していることが面白く感じます。

〇自律神経系とは、身体の血圧や呼吸数など、体内の特定のプロセスを調節している神経系です。そして自律神経は身体の働きをコントロールするにあたり「交感神経」と「副交感神経」の二種類に分かれます。車に例えると、交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキです。

〇交感神経の働きが上がると気持ちは高揚し、仕事の能率はあがります。逆に副交感神経の働きが上がるとリラックスし、疲れがとれていきます。ただ大事なのはこの2つのバランスで、交感神経が優位に立つとイライラし、身体の免疫力が低下します。逆、副交感神経が優位に立つと注意力が散漫になり、作業などのミスが増えます。

〇子どもの含めた現代人は、自律神経が乱れがちで特に「交感神経と副交感神経のバランス」がとれていないとは以前から指摘されています。先ほどの小林教授の言葉を引用させてもらうと、「自律神経とは、自分の意思で動かせない臓器をコントロールしている神経です。例えば末梢神経でいうと、自律神経はその周りにある筋肉を動かし、血流をコントロールしています。健康でないと、いいパフォーマンスはできませんよね。」と言われています。

〇生徒たちは学校では主に交感神経を優位に働かせて、学習や活動をしています。なぜならば、ボーとしていると授業の内容が頭に入ってきませんし、体育や部活動などでも転んだりつまずいたりと危険なこともあります。朝自宅を出てから、登下校も含めて夕方帰宅するまでは、ほとんど交感神経を働かせていると言えます。

〇ですので自宅等では、副交感神経の出番になります。副交感神経は好きな音楽や動画を聴いたり観たり、家族とおしゃべりしたりするだけで活発になるそうです。また身近な自然を感じたりする、例えば登下校で朝陽や夕陽を「キレイだな~」と感動してながめたり、道端の草花や昆虫を見つけたりすることも有効だそうです。

〇気分転換としてスマホやテレビゲームも否定するつもりはまったくありませんが、それを適度に利用し、少なくともそれを追いかけるまたは追いかけられる時間(これは副交感神経ではなく交感神経が優位になっている)を少なくするようにしたいものです。

〇今朝もまだ車の運転に自信のない若い職員と話をしていると、「今朝、学校の正門前で右折して入る先輩に左折して入ろうとした私が『お先にどうぞ』と譲ってあげました」と話していました。先輩教員だから譲ったのかもしれませんが、少なくともその若い職員は今日一日、穏やかな気持ちで過ごせることでしょう。

須藤昌英

 

 

1月7日(火)第3学期始業式&私立高等学校入試開始

〇本日から3学期が始まりました。昨晩の雨のおかげで、しっとりとした朝で、少しはインフルエンザなどの感染症もおさまってもらいたいものです。2週間ぶりに正門で生徒が登校する様子を見ていましたが、お正月を過ごしてこれから学校生活にリズムを切りかえようとして、緊張感?浮遊感?が漂う生徒も多くいました。が大きな声で挨拶をしてくれました。

〇始業式では、次のようなスライドを使って話をしました。

 

〇最初は「なぞなぞ(とんちクイズ)」から始めました。学校は「これはなんだろう?どうして?」などを大切にし、大きな課題は解決を急がずに探究する場所であってほしいものです。「なぞなぞ」の語源は「なんぞ、なんぞ」で、学校は今まで分からないことが分かるようになる、出来なかったことができるようになる場です。

〇そして現代を生きていく生徒たちには、4つのC(挑戦、コミュニケーション、見通す力、自立・自律)に代表される資質・能力が欠かせません。そのベースとして特に「自分は何よりも~が好き」で「〇〇をしているときの自分がどんな自分よりも好き」という感覚を大切にしてもらいたいです。

〇ただ留意してほしいのは、「あの人は言うことと実際にやっていることがバラバラだね!?」では、人間関係上の信頼感をなくします。言っていることと行動が一致(言動の一致)するとは、発する言葉(口)と実際の行動(身)の矛盾がないことです。特に顔や口は正面にあるので見えやすいし伝わりやすいですが、行動は背中(見えにくい、伝わりにくい)に滲み出るので、「背中でも語れる人」が理想です。

〇最後に今から34年前の曲「どんなときも(槇原敬之:作詞作曲)を流しました。当時私は二十代後半で、クラスの生徒とよくこの曲を聞いたり歌ったりしていました。特に曲のサビの歌詞が今でも印象に残っています。

どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために 「好きなものは好き!」と 言えるきもち抱きしめてたい  

どんなときも どんなときも 迷い探し続ける日々が 答えになること 僕は知ってるから

〇21世紀も四分の一が過ぎようとしています。生徒たちは22世紀にまたがって生きるのですから、残りの四分の三をいかに生活していくか・・。生徒たちに投げかけて終わりました。

 

〇明後日から高校入試が本格的にスタートします。都道府県によって私立高等学校の日程がほぼ決まっており、今週の茨城県から始まり、順次千葉県、東京都、埼玉県と続きます。私立高等学校はその学校独自の入試を行いますので、大別すると「一般入試」「推薦入試(単願・併願)」ですが、その他日程も「A日程」「B日程」などと、入試の機会をAとBに分けることで受ける回数が増えしている学校もあります。

〇また私立高等学校は公立高等学校と違い、発表している「募集定員」よりも多くの「合格者」を出します。理由としてはやはり学校を経営するという面がありますので、もしその後に入試のある公立高等学校へ多くの生徒が流れてしまうと、募集定員を下回る可能性があり、それを避けるためです。

〇千葉県公立高等学校は今年から全校でインターネット出願になりました。1月14日~2月3日までに志願者情報の登録及び入学検査の納付を行い、2月4日~6日で「郵送による出願」、2月12日~13日の「志願(希望)変更」、2月18日~19日の「学力検査等」、3月4日の「発表」と続きます。ただし私立高等学校と違うのは、先ほど書いたように「1回しか受けられない」「募集定員数通りしか合格者を出さない」ことです。

〇その為1回に限り、まず出願確定した後にネットや翌朝の新聞に掲載される「志願倍率」を見て、最初に志望した高等学校への願書を引き下げ、新たな高等学校へ出願することができます。ただしこれは無暗に行うと返って生徒本人に心の動揺が残ることもありますので、慎重に行わなければなりません。

〇上記の4つ「出願」以外の3つ(「変更」「学検」「発表」)は基本的には、生徒自身が志望校に行くことになりますので、担任からは必ず事前に行き方を調べたり、実際に足を運ぶように指導したりしています。ただ2月ですので、過去には入試日に雪が降り、交通手段がストップしたり開始時間が遅れたりしたこともありました。最悪の状態も想定し、どうやって入試会場までいくかは複数の案をもっていた方が良いと思います。

〇現在3年生は体調管理と試験準備の両方に気を使っていますので、学校としては無事に終わるようにサポートしていきます。

〇3学期は全校生徒で集うのは、3月3日の生徒会主催「3年生を送る会」のみで、3月11日の「第78回卒業証書授与式」で3年生は巣立っていきます。インフルエンザやコロナ等の感染症も大きく広がらないように祈っています。

須藤昌英

1月6日(月)「はたらく細胞」を観て

〇新年になり映画を一つ観ました。最初はあまり気乗りしませんでしたが、家族に勧められて行きました。「はたらく細胞」という題で、館内には親子連れも多く、随所に戦闘シーンもあるので、子どもはどういう感想をもったのか知りたいところです。学校ならば気軽に生徒に「どうだった?印象に残った場面は?」など矢継ぎ早に尋ねられますが映画館ではそういうわけにはいきません。

〇映画の公式ホームページから紹介文を引用させてもらいます。

「人間の体内の細胞たちを擬人化した斬新な設定で話題を集め、テレビアニメ化もされた同名漫画を実写映画化。原作漫画『はたらく細胞』とスピンオフ漫画『はたらく細胞 BLACK』の2作品をもとに、ある人間親子の体内世界ではたらく細胞たちの活躍と、その親子を中心とする人間世界のドラマを並行して描く。

人間の体内には37兆個もの細胞が存在し、酸素を運ぶ赤血球や細菌と戦う白血球など無数の細胞たちが、人間の健康を守るため日夜はたらいている。高校生の漆崎日胡は、父の茂と2人暮らし。健康的な生活習慣を送る日胡の体内の細胞たちはいつも楽しくはたらいているが、不規則・不摂生な茂の体内では、ブラックな労働環境に疲れ果てた細胞たちが不満を訴えている。そんな中、彼らの体内への侵入を狙う病原体が動き始め、細胞たちの戦いが幕を開ける。」

〇人間の主人公の体内にある細胞の方の主人公は、赤血球(肺から取り込んだ酸素を全身の組織に運ぶ役割)と白血球(細菌、ウイルス、カビといった外敵やがんから身体を守る働き)で、それぞれが自分の役目を果たそうとする中で、無意識でお互いに連携してはたらいていますが、そのことを身体の主人である人間はまったく知らないで生きています。

〇先日、初日の出を見て、太陽と我々生物の関係を書きましたが、あれはマクロ(大きい・巨大)的な関係ですが、細胞はミクロ(小さい・細かい)的な世界で対照的です。ただ「目に見えない・意識できない」という点で共通点も感じました。

〇私は学生の頃から、「遺伝子や細胞」といったことに興味があり、一時期は科学者としてその研究もしてみたいと思っていました。ただ自然とそれを断念し、数学の教員となりましたが、生物分野でも数学が活用されているので、教員になった後も生物系の本を見るのが好きです。

〇例えば、細胞は1つの細胞から順々と細胞分裂していきますが、1回目の分裂で1個が2つに分裂して2個、2回目の分裂で2個がそれぞれ2つに分裂して4個、3回目の分裂で4個がそれぞれ2つに分裂して8個・・となり、30回目の分裂でおよそ10億個になります。つまり2のカイ乗(n乗)計算は、予想をはるかに超えるスケールで増えていきます。

〇また3年生が理科で学んでいましたが、メンデルの法則(遺伝子に関する古典的な研究)では、詳細は避けますが、エンドウ豆の丸形としわ型を交配させ、交配によって一つが他よりも優れて現れるのを「優性遺伝」と呼びます。その結果分析にはマトリクス(縦軸・横軸の二次元で構成された表)を使い、統計的な数学の処理をしています。

〇数年後には生徒たちは、社会に出てそれぞれの職業を通して収入を得ると同時に、その仕事や役割を通して社会に貢献していきます。その貢献という目には見えないはたらきこそ継続していく要因となります。「自分も何かの役に立っている」が自己有用感となりますので、前述の細胞たちのはたらきと共通している面があります。働くとはよく「自分の行為によって傍(はた)を楽(らく)にする」ことと語呂合わせのように言われることがありますが、上手な解釈だと思います。

〇明日は2週間ぶりに生徒たちと再会します。私は始業式で話す内容を考えつつ、3月の卒業式の準備も始めましたし、職員も多くが出勤し、明日からに備えています。感染症も流行っていますが、元気に登校してくれることを願っています。

須藤昌英

1月4日(土)新年おめでとうございます

〇新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。1日はあの能登の震災からちょうど一年でした。お亡くなりになった方も大勢いらっしゃいました。お身内を亡くされた方もいらっしゃいます。なかなか復興が進まず未だに不自由な暮らしの方も多いと聞きます。お見舞いを申し上げます。

〇令和七年は巳年(みどし・へびどし)です。蛇は脱皮をすることから、「新生・成長・変化」のシンボルとも言われます。小学生くらいの時遊んでいる最中に、林の中で蛇の抜け殻を見つけたことがあります。初めて見たのでとても神秘的で、自宅まで持ち帰り母親に叱られた思い出があります。

〇確か布施弁財天(紅龍山東海寺)様にも白蛇が祀られています。白蛇は弁天さまの使いといわれ、以前に参拝したときに境内にかわいい白い蛇のキャラクター「はくじゃちゃん」があったのが印象に残っています。布施弁財天はまさに富勢中学区の守護をしてくださっていますので、いつも感謝しています。

〇1日は自宅近くの手賀沼からご来光を仰ぎました。ご来光を見ると、亡くなった父が言っていた言葉を思い出します。「太陽があるから人間は呼吸もできるし、心臓が動いて血が全身に流れているんだよ」と言われても幼い頃は実感がありませんでした。ただこの年齢になると少しはその意味がわかります。太陽とすべての命がつながりあって地球上の生物は存在していることは、目には見えませんが想像することはできます。

〇よく使う「おかげさまで・・」の言葉の由来もここにあるのでしょう。日光は見えますがその影響力は広大かつ深遠で、その一つとして植物の光合成によって大気が循環し、それによって動物は生きていられます。「目に見えない周囲の支えがあって人間は好きなことができる」ということは普段はあまり考えませんが、元日という節目には謙虚になってそのことに感謝しつつ、今年一年の目標に思いを巡らせました。

〇好きなことができるのに関して、中国の論語(孔子と弟子たちとの問答を集録した書)を思い起こします。それは、『子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者』で、読み方は「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」です。意味は、「先生は言われた。物事をよく知っているという人は、そのことを好きな人にはかなわない。またそれがいくら好きであっても、それを楽しんでいる人にはかなわない、と」。

〇学校は様々な教科や活動があり、私もそうでしたがそのすべてが好きだという生徒はいません。ある面では仕方なく勉強していますが、もしその中に一つでも自分の好きなものがあれば、その人は幸運だと言えます。好きですから無理して努めなくでも必要な知識や技術は身につきますし、やればやるほど他人に言われるまでなくそのことを自ら探究していきます。

〇ただ好きなだけでなく、それを楽しむことができれば、さらにその学びの姿勢は自然と継続されます。日本でも「好きこそものの上手なれ」は有名なことわざです。子どもであれ大人であれ、どんなことでも上手な人は生き生きとしています。先日もおめでたい報道があったメジャーリーガーの大谷翔平選手も、持って生まれた才能に加え、野球が好きでたまらない気持ちから、生活のすべてを野球のためにつなげ、人の見えないところでとてつもない努力をしているのです。

〇新年にあたり富勢中のすべての生徒たちが、「この好きなことがあるから嫌なことも乗り越えられる」という秘かな自信をもって、今年一年を過ごしてほしいと願っています。

須藤昌英

12月31日(火)良いお年をお迎えください(自宅から投稿)

〇先週の火曜日から始まっている冬季休業(~1月6日)ですが、一週間が過ぎ、残り一週間となりました。お子様はどのように家庭で過ごしているでしょうか?日本海側は大きな寒波で大変な状況ですが、関東地方は寒さはあるものの毎日快晴に恵まれており、穏やかな年末のような気がします。

〇年末は家族が続々と発熱し、数回病院へ付き添いしました。幸いまだ今のところ私は元気ですが、もし今発熱すると発熱外来をしてくれる病院が少ないので、何とかこのまま乗り切れないか・・と考えています。

〇振り返ると今年は「辰年(たつ)年」でしたが、たつ(竜、龍)は十二支の中で唯一空想上の生き物で、権力や隆盛の象徴であることから、出世や権力に大きく関わる年といわれていました。であるからか今年は国内では政治的に大きな選挙があったり、世界的ではあらたな紛争が勃発(今までの戦争が継続)したりといろいろと考えさせられることがありました。

〇これらも生徒にとっては、「良い教材(自分たちの生きている社会を見つめ、自分たちの生活に直接結び付く)」ではないかと思っています。もちろん発達段階によって、興味の方向性や認知の精密性は異なり、個性もありますので一概に、「これとこれは中学生ならば必ず知っておかねばならない」と固定的には考えていません。

〇ただ気になるのが、情報化社会に浸かると、「フィルターバブル現象(自らの考えやし好にあった情報だけに囲まれ、その他の情報に関心を持たなくなる)」の危険性が高まるということです。手元のスマホなどを通して限られたネットワークからの情報に著しく依存することで、視野の狭さ、誤情報を信頼、社会的分断、判断能力の低下、興味の固定化、コミュニケーション能力の低下などが指摘されています。

〇自分とは異なる考えや意見にも耳を傾け、その考えや意見の背景や理由を想像してみることは、社会に出てからは欠かせない姿勢になります。学校はそのための練習として、授業やその他の活動を用意しており、話し合い活動や協働活動の中で「一人でいるよりも人間関係は大変だけれども、確かに大切でもある」ということを実感してもらいたいのです。この「大変」と「大切」が表裏一体であることがわかると、コミュニケーション能力もあがると思います。

〇もう一つ気になるのが、生徒自身よりも周囲の大人が、「子どもは教科書の内容さえをしっかり理解し、身につければよい」という声を時々耳にすること。ただそれは生徒のもっている力を過小評価していると感じます。教科書はあくまでも知識の入口に過ぎず、現実の世の中はもっと広範囲です。先ほどのように「そんな世界情勢などに関する議論のような難しいことを今の生徒がわかるはずがない」と思っている大人も多い気がしますが、実は生徒たちは「答えのない問いを考える力」をすでにもっています。この事実と向き合い続ける力こそこれからの未来を背負っていく彼らに必要な力であり、大人は彼らの意見ももっと尊重し、一緒に考えていくべきです。

〇ただそれを考える時間の確保が、学校の今の教育課程(授業時数)では難しいのが現実です。知識が体系的にまとめられている教科書はもちろん大切ですし、その内容はある意味「人類の英知、世の中の仕組みのエッセンス」ですので、「困ったときに戻って確かめる」のが本来の役割です。たた前述のように「教科書さえ学んでいれば・・」では、「生きて働く知識」にはならないと思います。

〇我々大人が、広くて深い思考をし、子どもたちの見本となっていくことや、現実には大人でもわからないことが多いので、子どもたちと一緒に考えていく姿勢を持ち続けることが大切だと思います。

〇今年の「校長雑感ブログ」も、本日で終了となります。自分の頭に思い浮かぶことをありのままに書きました(ただその分読まれる方は読みにくいことも承知しています)。保護者アンケートの中にも、「校長先生のブログで、学校の様子がわかり親としてはとてもうれしかったです」などのご意見もいただきましたので、励みになります。校内での出来事はすべて校長まで報告がありますが、もちろんすべての情報をブログに書くことはできません。ただできるだけ今後も「これは学校内だけで留めるのではなく、保護者や地域の方々にも知ってもらった方が良いだろう」の視点で書くことで、学校の様子を透明化(可視化)できたら・・と思います。

〇良いお年をお迎えください。生徒たちとは1月7日(火)に再開できることを楽しみにしています。

須藤昌英

 

 

12月23日(月)2学期終業式&いじめ防止集会

〇2学期(授業日数77日)が終わります。暑い9月から寒い12月と月日の流れとともに、生徒たちの成長を感じます。そしていつも学期末には、学校は果たして一人ひとりの生徒に精一杯「個別最適な支援」ができたかどうか・・と考えさせられます。2学期の表彰式に続き、終業式を体育館で行います。

〇戦国時代の武将の中で私が好きな一人が、毛利元就(もうりもとなり;1497-1571年)です。一般的には知略と謀略に長けた名将で、数々の経緯を経て、所領を増やしたことで評価されています。もちろん武士ですので、大勢の人々を支配し時には殺戮もしてきたでしょう。ただそんな彼でも人間くさい2つのエピソードがあります。

〇そのうち有名なのが、「三矢の訓え(みつやのおしえ)」で、元就が、三人の息子(隆元、元春、隆景)にあて、大きくなればなるほど身内の中での争いが生じることは世の常であるが、毛利家の将来のため、一家の頭領として三人の子どもに一致団結を説きました。その例えが、1本の矢なら簡単に折れるが、3本まとめて束にすれば折れない。それと同じように、3人が力を合わせれば、誰にも負けることはない」と諭したそうです。

〇もう一つがあまり知られていませんが、元就の部下や庶民に対し方のエピソードです。私はこれの方が「三矢の訓え」よりも好きなので紹介します。

「元就は自分の御屋敷にいる時には いつも餅や酒を切らさずにおいていた。元就は城下に住んでいる、とりたてて身分の高くない侍や 小間使いの者、あるいは庶民などまで親しく付き合った。そういう人たちは、農作物や山海の珍味などを持って、元就に面会した。そういう際に元就はわざわざ場を設けて歓待し、贈り物を喜んで受け取りつつ、必ず「君は上戸(酒が好きで飲める)か?それとも下戸(酒は飲めない)か?」と尋ねた。相手が「酒は飲める」と答えると、笑って酒を飲ませた。逆に「酒は少しも飲めません」と答えると、「君は下戸なのか。ならば餅を食べなさい」と餅を食べさせてあげた。このことから、身分の低い者たちまで元就のことを慕っていた」

〇作り話の可能性も否定できませんが、大将という立場になると人間は下の身分の者から遠い存在になってしまいますが、あえて相手に合わせて接待することで、戦時などの危機の場合にも家来から助けてもらえたということでしょう。特に「酒か餅」を相手に合わせて出すなどは、前述の個別最適な教育に通じるものがあります。終業式でも少しその話を生徒たちにしてみようかと思いつつ、自分としてはお正月に、お屠蘇(とそ)とお雑煮(ぞうに)をいただきながら、ゆっくりと振り返ってみます。

〇終業式に続いて、生徒会主催の「いじめ防止授業」を行います。これは先月に柏市教育委員会主催の「いじめ防止サミットKashiwa」に参加した2年生の中村さんと佐藤さんが、そこで学んだ内容をさらに本校の生徒アンケートの結果も含めてアレンジしたものです。全校生徒が話し合いをしやすいような工夫が満載されており、今からとても楽しみです。

 〇まず事前に全校生徒に行ったアンケート結果を確認しました。スマホを持っていない生徒は7パーセント(持っている生徒は93%)、持っていない理由(家のルール、自分の意思、没収、その他)、持っていないメリット(トラブルなし、面倒くさい人間関係なし、見てしまう無駄な時間なし、依存症にならない・・)、持っていないデメリット(いざという時の連絡手段なし、みんなの話題がわからない、調べる時に不便・・)、持っていて今まで問題を起こした人12%、友達の使い方をみて問題だなと思った人22%。

〇次の2つのテーマを体育館内で話し合いました。

テーマ①『もし柏市で中学生以下の児童生徒のSNS使用が禁止になったらどうする??賛成?反対?』

テーマ②『中学生以下は禁止』という条例が出ないために、皆さんが学校生活や実生活でできることは何ですか???

それぞれの意見の代表として、事前にビデオ撮影した生徒たちが考えを発表しました。

〇最後に、山本PTA会長さんにアンケート結果を見ての感想と3つの気を付けることのメッセージをいただきました。「親が子どもにスマホを持たせる一番の理由は、安全を確認するためです。しかしその反面、SNSのトラブルや闇バイトなどの犯罪に巻き込まれる危険があります。冬休みに入るにあたって、使用時間を管理する(目の休養、運動量の確保、家族との団らん)、SNSのマナーを守る(言葉の使い方、相手への思いやり)、個人情報を漏らさない(氏名、住所、電話番号、家が特定できる写真)ように。相手と向き合っての年末年始の『良いお年を』や『あけましておめでとう』などは文字だけでは伝わらない表情や動きがあるので、誤解の少ないコミュニケーションです。楽しい冬休みを過ごしてください。」

〇山本会長さん、お忙しい中ありがとうございました。インフルエンザ警報も出ていますので、令和7年1月7日にまた元気で会えますように。

須藤昌英

 

12月20日(金)創立80周年に向けてのワーク&年末大掃除

〇富勢中は2年後に創立80周年を迎えます。市内では同じく昭和22年に新制中学校としてスタートした中学校があと3校(柏中、土中、田中中)あります。本校創立当時は生徒数199名(4学級)で、軍隊の旧兵舎を仮校舎としていた記録が残っています。

〇平成9年の創立50周年には、柏市長をはじめ多くの来賓に来ていただき、創立記念式典を盛大に行いました。その後の60周年、70周年は記念集会という形で、記念誌を発行したり講師を招聘して講演をしたりしました。大きな次の式典は創立100年になります。

〇過去の式典は、教員や地域の方々、PTA役員などの大人が企画・運営していました。これは入学式や卒業式と同様の学校行事であり、来賓をお招きしてみんなでお祝いするという目的がありますので、ある面では仕方ないと思います。

〇ただ私も過去の勤務校で何度か創立記念に関わってきましたが、どうしてもその創立記念の場に立ち会い、本来は主役である生徒たちがお客さまのようになってしまうことが気になっていました。生徒の心の中は「●●周年だからおめでたいことはわかるけど、これからこの学校の歴史をつくっていく私たちは何をしたらいいんだろう?」みたいな気持ちがきっとあったと思います。

〇そこで来る80周年はこれまでとは異なり、生徒会が中心となり自分たちが調べたり考えたりした富勢中や富勢地域の歴史や先輩方の思いを振り返り、これからの未来へのビジョンを共有する場に保護者や地域の方々を招く創立記念集会をしたいと考えています。

〇自分たちの言葉で発表する場に、日頃からお世話になっている保護者や地域の方々への感謝の意を表し、さらによりよい関係性を向上させることを目的としたて実施する「生徒主体の行事」にすることを目指します。

〇そのためのベースづくりとして、1・2学年の生徒会役員たちと校長室でワークショップをしています。主な課題は次の3つです。

●今の富勢中で保護者や地域の方々に自慢できる素晴らしい点やあまり目立たないがこれからも継続していきたいことは何か?

【主な意見】

・素直でフレンドリーな生徒が多い ・友情を大切にし笑顔が多い ・クラスの団結力や雰囲気がよい ・生活のきまりやルールを守っている人が多い ・気軽に挨拶を返してくれる ・昼休みに元気で遊ぶ生徒が多い ・下駄箱の靴がそろっている ・授業も真剣に受けている ・リーダーの声掛けがさかん ・元気で積極的 ・歌声きれい ・黙働清掃ができている ・富中大好きと言える ・委員会も部活動も全力で取り組む ・学校行事に積極的 ・先生方が生徒に寄り添ってくれる ・三大伝統(あいさつ、清掃、歌声)

●来る創立80周年に向けて、今後さらに理想とする富勢中になるために必要なことや取り組みたいことは何か?

【主な意見】

・校内の花を増やし華やかにする ・富勢中学区の小学校の児童に富勢中やその歴史をしってもらう ・80周年ポスター制作をする ・地域とのコラボレーション ・コミュニケーションの活発化 ・富勢中のキャラクター作成 ・周年プロジェクトチーム結成

●これを踏まえて、その狙いを達成するために来年と再来年の生徒会行事をどうするかを話し合いました。体育祭 合唱コンクール あけぼの祭 新規行事 など

【話し合い継続中】

〇今日の午後の職員会議で、生徒会役員が話し合いの進捗内容をプレゼンします。職員会議で生徒が提案するのは異例なことですが、学校の一番の当事者である生徒の声を聞くことも大切です。

〇今日は全校一斉の大掃除を行います。日本では年末に大掃除を行い、「心機一転して新年を迎える」という「しきたり」のようなものがあり、これに異を唱える人をあまり聞いたことがありません。確かに普段は見逃している(見えないふりも含む)場所もきれいにしますと、新しい発見があったり何より気分が明るくなったりします。

〇「仕来り(しきたり)」を辞書で調べますと、「昔からの習慣、ならわし、慣例」とあり、用法としては「~を守る」「~に縛られる」とありますが、この2つでは180度違う姿勢になります。

〇「~守る」は、正しいと信じていることを今まで通りにやることですが、さらに自主・自律的に自らやろうとする意志のもと、「どうせやるなら楽しく」なるように、創意工夫をしていくまでになると、たとえ誰かに「もうそんなことやめたほうがいいよ」と言われたとしても、全く意に介せず、続けていくことができると思います。

〇その一方で「~に縛られる」の方は、自分の気持ちに関係なく仕方なくやることになり、創造性・想像性は生まれません。むしろやる意義や意味、それをやることによる効果などを考えていないので、とにかく「はやく終わればいい」しかないと思います。

〇以前にサッカーワールドカップでは、日本人サポーターが客席のゴミ拾いを自主的にしたり、選手ロッカーが最後きれいに片づけられたりした写真がアップされ、世界から賞賛されていることが話題になりましたが、使用させてもらった場所に感謝していることを行動に示したとも言えます。

〇ただ一部には、「清掃をする人の仕事を奪っている」との見方や、もっと厳しい意見は「単なる売名行為?にすぎない」まであるようです。私などもさすがにそれには頭の中で疑問符がいっぱいになりましたが、しかし日本人的見方を超えた世界レベルではそういうこともあることは知っておくべきでしょう。

〇学校の清掃も多くの国では、雇われた清掃人が仕事として行っており、生徒自身が清掃をするのは稀だそうです。先ほどのワールドカップの話でも、我々は学校で清掃活動をしてきたので、違和感はありませんが、成長過程でボランティアベースの清掃を経験してこなかったならば、理解できなくても当然なのかもしれません。

〇しかしその日本型教育が注目され、アフリカでは生徒による清掃を取り入れた国もあるそうです。さて、「今日の大掃除をどんな気持ちでやっていますか?」「大掃除って必要だと思いますか?」などと、見かけた何人かの生徒に尋ねてみようかなと思います。

 〇部屋の窓は開けっぱなし、しかも水道の水は冷たい状況でも、自分たちの分担をキレイにしようと、黙々と身体を動かす生徒たち。この経験により少なくとも、意図的にゴミを落としたり汚れている場所をさらに汚したりすることのない大人に成長してくれると信じています。

須藤昌英

 

 

 

 

12月19日(木)2学期保護者会&2学期給食最終日

〇昨日、2学期の保護者会を行いました。1学期末の7月には実施しなかったので、4月の当初保護者会から8カ月ぶりとなります。全体会で私からこの8カ月間の本校における学びや富勢中学校4区の児童生徒に身に付けさせたい力、来年度のクラス編成の方向性を説明しました。その後教務主任から保護者アンケートの結果報告、生徒指導主任からいじめアンケートの結果と冬休みの過ごし方などを話し、クラスや学年の懇談会となりました。

〇保護者会のあいさつでも言いましたが、以前よりも世の中の変化の割合が数倍で、あらゆる技術革新のスピードが加速しています。その様子を、犬の成長の1年がおよそヒトの7年に相当する(ヒトの7倍速く進む)ことから「ドッグイヤー」、または鼠の1年がおよそヒトの18年に相当する(ヒトの18倍速く進む)ことから「マウスイヤー」などに例えられることもあります。よく「不易と流行」と言われますが、世間の変化に対応しつつ、生徒の学びのはやさは従来と変わらずにある程度余裕をもたせた環境で、じっくりと考えたり話し合ったりする時間を確保していきたいです。

〇普段はシグフィーやホームページなどでのこちらからの一方的な情報発信が多いですが、年に数回でも顔を見ながらお互いに話をすることが大切であると思います。お越しいただき、ありがとうございました。私がお話しさせていただいたスライドを掲載します。

〇今日は2学期最後の給食となります。2年前の今頃はコロナの後の対応として、「あなたはこれからも黙食を続けたほうが良いと思いますか」と生徒アンケートを実施したのを覚えています。結果としては「継続した方が良い」が6割、「継続は必要ない」が4割でした。生徒の中ではまだ続けた方が良いと思う人が思わない人の約1.6倍であり、その後もしばらくは継続していくことにしたのでした。今は前と同様に楽しく喫食しています。

〇振り返るとコロナ禍で、生徒たちもいろいろな経験をし、「自分は~したらよいと思う」と考えるようになってきたと思います。ただ当然のことながら、同じような経験をしても人によって考えは異なります。一見すると意見が対立し、白か黒の2つに一つしかないように見えますが、この時こそ、「広くて深い思考」が必要で、そのためまずお互いに目的が一致していることを確認し、次に対話する姿勢(相手の真意を理解しようとする)を持ち続けることしかありません。

〇先週から今週にかけて、給食の残菜・残乳ゼロ週間に取りくみました。担当の鹿野栄養教諭からのメッセージです。

先日の白ご飯は、全校で110㎏炊きましたが、残ったのはたった460g(0.4%)でした。これは約2.4人分だけです。生徒と教員合わせて550人ですので、これだけしか残らないことがどれだけ凄いことか。チェック表でみると〇や×なので「×がついてしまった・・」と感じる時もあると思いますが、皆さんが残さないように頑張ってくれていることが給食室にも伝わっています。

栄養教諭という仕事をしていて常々思うのは、「給食は食べてもらってはじめて完成」ということです。どれだけ栄養価を整えても、みなさんに食べてもらえなければ意味がありません。この一週間はみなさんのおかげでとても完成度の高い給食でした。これからもたくさん食べて、学んで、遊んで、健康な体と豊かな心を育んでくださいね。

〇今朝は少し雪がちらつきました。だからというわけではありませんが、今日のメニューは、「キャロットライス、チキンクリームソース、ゆで野菜のごまサラダ、ブルーベリータルト、牛乳」で、来週のクリスマスをイメージしています。またお話し給食(生徒からのリクエスト)で、「赤毛のアン」にちなんでカナダ産のブルーベリーを使用しています。

 須藤昌英

 

 

12月18日(水)「ほめて認める」から「学び成長する」へ

〇少し調べると昨日のアリとキリギリスの物語の結末や解釈以外にも、最近は興味深い2つの説(現代の日本版アリとキリギリス)があるようです。

【現代日本版アリとキリギリス その1】

酷暑の夏、毎日アリが一生懸命働いているとき、キリギリスは歌ってばかりいて遊んでいました。冬になり食べ物がなくなり困ったキリギリスがアリの家を訪ねるところまでは同じですが、ノックしてもアリの返事がありません。家の中でアリは死んでいました。いわゆる働き過ぎの「過労死」だったのです。

【現代日本版アリとキリギリス その2】

冬が近づき食べ物に困ったキリギリスは、自ら演奏会を開くことを考え、アリの家を訪ねてチケット代わりに食べ物をもらい、そのおかげで冬を過ごすことができました。夏の間は遊んでいたのではなく、しっかり音楽の勉強をして、キャリアを積んでいたのです。

〇前者は実際にこれまでも日本でも起きていることなので笑えないですが、後者は先日の本校一年生の生徒の授業中の発言と本質は同じです。だれでも得意な面をいかしていけばよい・・と明るい気持ちになります。

〇昨日に紹介した菊池省三氏の実践は、子どもや青年の成長発達に伴う心や行動の変化の過程を明らかにした教育心理学に沿ったもので、小学校はもちろん中学校のすべて教科の授業の基盤となるものでもあります。

〇菊池氏の著書「一人も見捨てない!菊池学級12カ月の言葉かけ(小学館)」の「はじめに」から抜粋させてもらいます。

初めて出会う子どもたちに授業を行う日々のなかで、私は「一時間の授業」をよりいっそう意識するようになりました。自分を開示し、友達と認め合う関係をたった一時間の授業でどのようにつくっているか。それは「私(教師)が子どもたちと一緒に成長していく」という思いを子どもたちと共有することでした。「どんな意見を言ってもいい」「間違っても大丈夫」「いろいろな意見があって当たり前」という安心感を持たせ、「自分の意見を話すことができた」「友達の新たな一面に気付いた」「みんなで考え合うって楽しい」と実感できる授業をつくりたいと思います。

言葉がけは「ほめて認める」視点が大切です。ほめて認めるというのは、プラス面に目を向けることであり、望ましい方向性を示すことでもあります。教師がほめて認める視点で子どもたちに言葉がけをすることで、子どもたちもまた同じ視点を持つようになっていきます。

(途中略)

教室はみんなで学び合うところです。そして、みんなが協力して一緒につくり上げていくものです。マイナスの場面があっても否定せずプラスに活かしていく言葉がけをすることが大切です。「主体的・対話的で深い学び」が現行の学習指導要領の大きな柱になっていますが、子どもの活発な学びは、自分に自信を持ち、お互いに認め合う信頼関係がある温かい学級が土台にあってこそ成り立つものです。

〇柏市は「第2次柏市教育振興画(令和3年度から令和7年度の5年間)」の中で4つの力(コンセプト、チャレンジ、コミュニケーション、コントロール)を4Cと銘打ち、バランスのとれた児童生徒の育成を目指しています。またそれとリンクするように先日も書いた富勢中学校区小中学校4校の共通の「児童生徒に身に付けさせたい力」を4つの柱を立てています。

                  

〇富勢中の実態からもう一度その4つの力を整理します。

【本校の生徒の実態】

・コミュニケーション(関わり合う力)については、地域の行事やボランティアに参加する生徒は、以前よりも少なくなってきている。しかし、他人の話をしっかり聞く姿勢を持っている生徒が多い。自分の考えを説明することが、若干苦手な生徒が多い。今後の課題といえる。

⇒1 自分を大切にし、他者を尊重する力

自分の意見や感情を大切にしつつ、他の人の気持ちや考えも理解し尊重できる力。多様な社会の中で、お互いを尊重し合いながら成長するための基盤となる。

キーワード: 「まずは自分が大切、ならば皆も同じく大切にしよう!」

【本校の生徒の実態】

・コントロール(自律する力)については、どの学年も学習に意欲を持って取り組む生徒が多い。学校の決まりやクラスで決めたことを守ろうとする意識が高い。

⇒2 考えを伝え、協力する力

自分の考えや意見をしっかり表現し、他者と協働して物事を進める力。チームでの協力やコミュニケーションを大切にし、共に目標を達成できるようになる。

キーワード: 「親しくはない仲間の中でも、お互いに考えを伝え合おう!」

【本校の生徒の実態】

・チャレンジ(挑戦する力)については、物事に取り組むときに、あきらめずに粘り強く取り組み事ができる生徒が多い反面、失敗を恐れずに挑戦する意欲は、若干弱い。

⇒3 しなやかに挑戦し続ける力

困難に直面しても、失敗を恐れずに挑戦し、学び続ける力。未来に向かって、自分の道を切り開くために必要な自己肯定感や、柔軟な思考を身につける。

キーワード: 「失敗を失敗のままで終わりにせず、それを活かそう!」

【本校の生徒の実態】

・コンセプト(見通す力)については、分からないことは、そのままにせず、人に聞いたり、自分で調べたりすることができる生徒が多い。その反面、計画的に取り組むことは、若干弱い。

⇒4 社会で活かせる学びの力

基礎学力をもとに、実社会で必要な知識やスキルを使いこなす力。自分の興味を活かしながら、これからの社会で役立つ力を身につけていく。

キーワード: 「学んだことのエッセンスを、自分の将来のベースとしよう!」

〇特に朱字の4つのキーワードは、学校全体で合言葉のようにしていきたいです。本校にはアリやキリギリスだけでなく、それぞれ独自の個性をもった生徒がいます。それをほめて認め、自分から学び成長していく生徒たちを支援していきます。

須藤昌英

 

12月17日(火)「アリとキリギリス」の立場になって考えると

〇先週の金曜日の午後、1学年4クラスを対象に外部から講師を招聘した授業研修会を行いました。今回の講師は菊池省三氏で、全国各地で教員同士の学びの場「菊池道場」を主宰し、これまで文部科学省「『熟議』に基づく教育政策形成の在り方に関する懇談会」委員も務められています。

〇元小学校教員で、著書は多数あり、「ほめ言葉のシャワー」「成長ノート」「白い黒板」など、教員ならば一度は聞いたことがあるキーワードを自ら実践されてきた方です。お住まいは北九州市なので、先週一週間は柏駅のホテルに連泊し、連日柏市や周辺市の小中学校へ講師として出向き、その最後の研修が本校でした。

〇午前中は富勢東小で授業を行い、富勢東小の教員も午後3時からの本校での授業振り返りに参加していました。1学年4クラスの4組で菊池先生が飛び込み授業(これまで生徒とまったく人間関係のない指導者が生徒たちと心を通わせつつ、1時間の目標達成を目指して行う)を展開し、それをオンラインで他の1~3組までつなぎ、各担任が4組と同様の課題のワークに取り組みました。

〇題材はイソップ物語で有名な「アリとキリギリス」でした。少しあらすじを確認しますと、「夏の暑い盛りに、アリが汗水ながして餌を巣に運んでいるとき、近くの涼しい草むらでは、キリギリスが楽しく歌っていました。『アリさん、アリさん, どうしてそんなに働いているの。まだまだ冬はやって来ませんよ』とキリギリスが言うと、『やがて冬がくるんだよ。その時困らないためさ』とアリは言い、熱心に働き続けました。一方、キリギリスはすずしい夕方になるとバイオリンを弾き、毎晩舞踏会を楽しみ、暑い日中は昼寝ばかりしていました。いつしか季節は寒い冬になりました。野の草は枯れ、キリギリスは食べるも のがなくなってしまい、餌を求めてアリの所へやってきました。『アリさん、 何か食べるものを分けてもらえませんか』とキリギリスが言うと、『それは、 お困りでしょう。どうぞお入り下さい』とアリは言い、キリギリスを暖かい部屋へ招き入れ、食事を与えてやりました。」

〇アリとキリギリスの話は、人間は勤勉であることが大切であり、怠けていてはその報いを受けるという教訓や「備えあれば憂いなし」などを考えさせる題材です。私が子どもの頃の昭和時代は、「子ども時代に必死で勉強しておけば、後から苦労しないで済む」、「将来のために、今を犠牲にしても頑張るのだ」などの考えが主流で、当時の日本人はこのおとぎ話の教訓を心の支えにして働き、日本は高度成長を遂げた歴史があります。

〇この物語は日本ではハッピー・エンドなお話になっていますが、あるイソップ研究者の調査では、世界を見渡すと日本と同じくハッピー・エンドになっているのは他の1国のみで、その他の国は「アリはキリギリスが飢えて死ぬのを待って、その死体を全部食べてしまいました」になっているそうです。欧米の社会では国境が地続きでこれまでも多くの戦争に明け暮れた歴史と風土があるので、幼い頃から人間社会の生存競争の厳しさを教えていることが背景にあるようです。

〇授業では3つのワークがありました。

1「ペアでアリとキリギリスのあらすじを説明しあう」

2「クラス全体でアリとキリギリスの2つに分かれ、どちらが偉いかを主張しあう」

3「もしキリギリスが人間だったら、あなたは助けるか助けないか」

〇ある男子生徒はキリギリスを助ける理由として、「キリギリスは音楽も演奏できるし体も大きいから、助けて仲間に入ってもらえば、何かの時に逆に助かるから」と堂々と発言しました。その瞬間にクラスはシーンとしました。「なるほど」と思って固唾を飲んだのです。菊池先生はもちろん参観していた私たち教職員もそんな見方をできるのかと目からうろこが落ちた気持ちでした。

〇私たち教職員は常に生徒と向きあっていますので、ともすると「こういう質問をすると~のような答えが返ってくるな」と自動的に予想しています。悪い言い方をすると先入観が働きます。ところがそのようなこちらが想定していなかった答えを生徒が発表したときには、指導者側が学べるのです。授業は新しい発見の連続です。

須藤昌英

12月16日(月)新着本展示会&味見読書

〇先日の市議会の話題の中でも教育予算の話をしましたが、毎年本校でも新しい本の購入費として85万円が市から支給されています。1学期に生徒や職員から読んでみたい本のアンケートをとり、予算内中で優先順位を決めて購入しています。今その「新着本」を図書室で展示しています。

〇また全クラスの国語の時間を使って、図書委員会の司会進行により、新着本を並べての「味見読書」を行いました。「味見読書」とは聞きなれない言葉ですが、あえていろいろな本を手に取り、興味のあるないも含め、今後読んでみたい本やその種類などを自分で確認する目的があります。

〇ちなみに「日本十進分類法」によると、本は次の10の類目に分けられます。

0 総記 1 哲学 2 歴史 3 社会科学 4 自然科学 5 技術  6 産業 7 芸術 8 言語 9 文学

さらにこの類目を細かくした網目があり、例えば最後の「9 文学」には、「日本文学、東洋文学、西洋文学、その他文学」と4つに分かれています。

〇最初に図書委員から説明があり、1テーブル5分ずつ6テーブルを班ごとにローテーションします。一つの本をじっくりと読むのではなく、料理を味見するように、気になる本をチェックしていく活動です。

〇生徒の感想の一部から抜粋します。

・見たこともない本や名前すら聞いたことのない本がたくさんあり、いろいろなジャンルの本に触れることができた。そのおかげで今までチャレンジしなかった本を借りてみようと思った。色々な本から新しい知識を身に付けたり理解を深めたいと思った。

・本を読んでいると自分がなんだか大人になった気分で気持ちがよくなる。できれば日向のテラスやハンモックで本が読んでみたい。

・私の場合は受験が終わってから卒業式まで約1カ月くらいあると思うので、今日見つけた本を読んでみたい。

・考えさせられる本だったり勉強になる本だったり、感動したりと本はいろいろな感情や想像ができるので、時間を忘れるくらい読んでいると楽しい。本にはテレビなどとは違う楽しさがあり、これからも興味をもっていきたい。

・自分で買いたかった本や読んで見たかった本があってよかったです。新着本の貸し出し日にはすぐに借りたいです。

・昨年よりも自分の読みたい本が多く見つかってよかった。もともと特に生物系の本や国の本が好きなので、これからは歴史や宇宙に関する本にも興味が出てきた。

・いろいろな本をいっぺんに見ることはないので楽しく、各本の特徴や情報を得ることができた。また小説でも限りなくいろんな種類があったので、ゆっくり考えながらたくさんの本と出合っていきたい。

・普段本を読むときは、あらかじめあたすじを見てから読むことが多いので、あらすじを見ないで読むことが新鮮でとても面白かった。

・最近ぜんぜん図書室に来ていなかったので、やはり図書室の雰囲気は良いと思った。

・高校受験や勉強法など、受験生にはとても大切なことがのっている本があったので、読んでみたい。

・久しぶりに絵本を読むと意外と面白いことに気が付いた。普段は小説ばかり読んでいるので、違うジャンルの本も楽しい。多くの本が歴史系で手が出しづらかったけど、考察系は自分と違う考えを知ることができて良かった。

・今は朝読書以外に本を読む時間がないので、読む機会を与えてもらってよかった。味見読書は初めの方だけ読むから、そのあとの内容が気になって今度借りようと思った。

・味見読書はすごく楽しみにしていて、今日も読めてうれししいです。自分から手にとらない本でも、味見読書だと読むことができるので、より本が好きになりました。

・まだ読んだことのない本など、たくさんの本を読んで、どの本もとても読みやすくて、ワクワクして面白かったです。

・久しぶりに自分が本当に読んでみたいという本を見つけられたのが良かったです。味見読書なので、短い時間でしたが、新しい発見がありました。

・こんど本屋で本を選ぶとき、いつも見ないジャンルの棚もみてみようと思いました。

・受験もあり朝読書以外に本を読めませんでしたが、この機会を通し読むことができてよかった。

・有名な本はだいたい知っていますが、あまり聞いたことのない本もとても面白そうで、読んでみようかなと思いました。

・毎回恒例の味見読書ですが、今年も新しい本を読むことができ、とても良い時間でした。

・新着本の中で、何冊も読みたい本があった。

・自分で今まで読んできた本とは違うジャンルも読みたくなりました。同じジャンルに限らず、もっと色々読もうと思いました。

・本それぞれに良い点があったり面白さがあったり、読んでいて苦ではなかったです。

・気になるような表紙とか挿絵を選ぶことが多いですが、本の出版社にとっても大事な視点かなと思いました。

・自分はあまり図書室に来たことがなく、本を読みたい気持ちはあったので、冬休み前に本を借りたいです。

・普段から読むような本とそうでない本まで、色々な本を手に取る機会になりました。すごく楽しかったです。

〇柏市では学校の図書室を「図書室」ではなく「学校図書館」と呼んでいます。そして学校図書館指導員という図書専門の方を市から配置していただき(これも教育予算に入っています)、日常の図書整理や各教科とのコラボ授業などのコーディネートを担当してもらっています。学校図書館が生徒たちにとって、知的で心地よい空間であるように・・・。

須藤昌英

 

 

 

12月13日(金)「2学期いじめの状況調査」より

〇先日、全校生徒を対象とした「いじめ」を把握するためのアンケートを行いました。通常学校がいじめを認知するのは、「本人からの相談、他の生徒からの情報、職員による観察、保護者や地域の方々からの情報」となっていますが、定期的にアンケートによる状況把握を行っています。

〇そもそも「いじめとは、日常的なトラブルでも、本人が『いじめられた』『不快な思いがした』などと感じるものをすべて」と定義されており、生徒も職員もそれを意識しています。いじめが発覚すると必ず複数の教員で、本人及び関係生徒から事情を聴きとり、今後の謝罪や人間関係の再構築ついての話し合いを行いました。

〇集計した2学期の認知件数は5件で、その内訳は「冷やかしやからかいを受けた」「無視された」「悪口・陰口を言われた」「勝手にシールを貼られた」となっており、最初の「冷やかしやからかい」が毎回の調査では一番多くなります。それぞれの案件で、職員がまず事実の確認を行います。

〇1学期の認知件数は8件でしたが、例年ですと1学期は進学や進級などで新しいクラスになったり、各学年とも旅行的行事があったりと、まだ人間関係が不安定な面があり、多くなる傾向にあります。ただ柏市では、「いじめが解消した」とする条件の1つが、「発生から3カ月以上当該生徒の関係の中で継続したいじめはない」となっていますので、先ほどの5件の場合も、これから3カ月間は経過観察を行います。安易に謝罪などをもって「解消」としないこととなっています。やはり人の心の中までは見えませんので、時間が必要です。

〇ひと昔前のように、二人で喧嘩しても「喧嘩両成敗」とはいかず、お互いがそれぞれ嫌な思いを抱くと、それはすべて「いじめ」とカウント(2件)しますので、簡単にその場で相手に謝って終わりとできないところが、正直難しいところです。ただ大人も含めて生きていく上で一番の悩みは「人間関係」ですので、「こうすればいじめはなくなる」のような究極の方法はなく、丁寧に対応していくしかありません。

〇いじめに対しての対応は、「柏市いじめ防止基本方針」にも示されているように、早期発見と早期対応、学校組織内の情報共有、必要な指導・措置ですが、いじめのアンケートはその一つの入り口になります。いじめの未然防止も重要なのは言うまでもありませんが、こちらは、道徳教育を充実させたり人権意識を高めたりする地道な取り組みしかありません。

〇要するに最後は生徒の想像力を引き出すしかありません。「〇〇をしてしまったけど、された方の気持ちはどうなんだろう?」「●●と言ってしまったけど言われた方の今の気持ちは?」など、だれもが意地悪をする側と意地悪をされた側の両方の経験をしているはずですので、「今の自分はどちらの立場が多いか?」と自分をメタ認知できるようになってほしいです。

〇いじめアンケートの中に「普段の生活で困ったことや悩んでいることはありますか」の項目を故意的に設けています。これはいじめではないけれど、その他の相談もしやすいようにとの配慮からです。その中に、「親子や兄弟姉妹関係について」 「クラスの雰囲気について」「受験する高校について」「塾での人間関係について」「自分自身の身体や性格について」などがあります。それらについても一つひとつ話を聞くなど丁寧に対応しています。

須藤昌英

【いじめ防止啓発カード(千葉県教育委員会)】

 

12月12日(木)地方自治への関心(柏市の教育施策と予算)

〇3年生が社会科(公民)で「三権分立」を学習していますが、日本国憲法は、国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する「三権分立」の原則を定めています。

〇国よりも我々にもっと身近な都道府県や市町村などの地方公共団体は、大きく2つの組織から成り立っています。一つは「議決機関(地方議会:条例の制定や予算の決定などを行う)」、もう一つは「執行機関(市長と市役所:予算に基づきそれぞれ担任する事務を行う)」です。簡単に言うと、前者は後者のやっていることをチェックする機能を果たしているということです。

〇現在令和6年度第4回柏市議会定例会(一般質問:12月5日~12日)が開会中です。その様子は市役所7階の議場に行かなくても、インターネットで視聴することができます。柏市には36名の市議会議員が市民からの負託を受けており、柏市議会定例会は年4回(3月、6月、9月、12月)開催しています。

〇その議員の中には、私の小学校時代のクラス担任や中学校のクラスメイトもいます。以前は関心が薄くその存在も遠くに感じていた市議会も、知り合いがいると柏市に関するいろいろな情報が入りますので身近に感じます。逆に今は本校の卒業生でもある上橋しほと議員には、学校行事や生徒のボランティア活動に積極的に参加していただいており、その様子を柏市の各担当部局に伝えてもらっています。

〇市議会の前に市役所の各部へは、事前に質問する各議員から質問事項が通告され、それに対して各担当が答弁書を作成します。私も教育委員会事務局に勤務している時は、いろいろな答弁書を作成していました。前述のように、市議会は市役所業務のチェックをするのが役割ですので、答弁書には誠実に、各業務の進捗状況や今後の方向性を盛り込みます。国会での答弁も同様ですが、質問が多い際には、期限日の夜中までかかって作成しています。

〇今回の定例会でも、多くの議員が、教育に関する質問をしています。その一部が、「柏市未来につなぐ魅力ある学校づくり基本方針と柏市教育大綱、小中一貫教育と義務教育学校、ICT教育とタブレット端末活用、学校での感染症対策、自転車のヘルメット着用と交通安全対策、子どもの権利条約と柏市子ども・若者総合支援センター、特別な支援を要する児童生徒、不登校児童生徒支援、学校施設開放と部活動地域移行、コミュニティースクール、子どものネット依存、子どもの運動能力、いじめ対策、学校給食と給食センター、給付制奨学金、教員不足と働き方改革、市立柏高校、公立夜間中学」など多様です。

〇いかがでしょうか?私たちがあまり意識していない裏で、これだけ教育に関する施策や予算などが議論され、その結果として学校の教育活動を下支えしてもらっているのです。先日終了した本校の体育館空調機設置工事などもすべて、昨年度までの市議会で予算案の承認を受けています。

〇大切なことはその建設費も含めてすべての教育予算は、もともと市民の税金があてられているということです。また毎日の電気・水道も市の予算があるからこそ使用できるのです。生徒たちにもその仕組みを教えていくことは大切であり、公民の授業でも扱っていると思いますが、再来週の終業式に私から話をしてみようかなと思います。

須藤昌英

12月11日(水)私たちのクリスMATHツリー(空間認知能力)

〇今1学年の数学では、空間図形を学習しています。小学校の算数では、まず1学年から身近な立体について観察したり分類したりして、ものの形を次第に抽象化して、図形として捉えられるようにしてきています。その後立体図形の点や線や面などの構成要素に着目したり、立方体・直方体・角柱・円柱・球などの多様なものを取り扱ったり、それらの見取図や展開図をかくことなどを通して立体図形についての理解を深めてきています。例えば家庭から身近な箱(お菓子やティシュペーパーなど)を持ち寄って、好きな形(タワーやロボットなど)をつくって空間意識を育てます。

〇それを踏まえ中学校数学科において1学年ではこれらの学習の上に立って、空間図形についての理解を一層深めていきます。特に数学では空間図形を空間における線や面の一部を組み合わせたものとして扱うという点に留意させます。また図形の性質や関係を直観的に捉え論理的に考察する力を養うために、立体の模型を作りながら考えたり目的に応じてその一部を平面上に表す工夫をしたり、平面上の表現からその立体の性質を読み取ったりするなど、観察や操作,実験などの活動を通して図形を考察することを基本にして学習を進めていきます。

〇展開図は平面図形ですが、それを組み立てることにより立体(空間図形)になります。問題を理解ためには例えば立方体を開いて展開図にしたり、展開図を組み立てて立方体に戻したりと、頭の中でイメージする必要があります。例えば立方体の展開図は全部で11種類あります。昔教えた時に、「へぇ意外と多いな~」と感じる生徒も多かったです。

〇数学担当の宗形教諭は、生徒たちに正多面体の展開図から立体を作成させ、それをクリスマスツリーの飾りとして廊下に展示しました。数学は英語で、Mathematics(略してMath)ですので、クリスMATHツリーとしてかけことばにしています。生徒たちの作成場面を見ていましたがとても楽しそうで、「昔はこんな授業はなかったなあ~」と思いました。

〇私が数学を担当していた時に、特に図形は生徒の好き嫌いが激しく、特に女子の苦手意識が高かったのを覚えています。その一つの要因として、幼少期から男児は積み木やブロックに熱中しやすいのに対し、女児はお絵描きやおままごとを好むことがあります。絵やおままごとセットは現実の生活に近い(具体的)のに対し、積み木やブロックは組み合わせによって何かの形をつくって(想像・創造)いくので、より抽象的な概念を必要とすることが考えられます。

〇根拠はわかりませんが、男性脳はデータなどの根拠を元に論理的に考えがちで、一方の女性脳はその場の感情や共感性を重視する…といったことを聞いたことがあります。身近では空間認知能力が高い男性の方が女性よりも地図を読める場合が多いです。最近の車はナビゲーションがありますが、昔は地図本を見て運転していましたので、男女の差があった気がします。

〇ただしこれはあくまでも一般的な話であり、近年では「理系女子(リケジョ)」も多くなっていますし、先日の1年校外学習で行った国立科学博物館に、いかにも研究者のようなオーラのある女性が多くいたことも印象に残っています。

〇ともかくこのクリスMATHツリーは、クリスマスという現実の生活と多面体という抽象物がコラボしています。年末が近づいていることを感じます。

須藤昌英

12月10日(火)自分のトリセツ(メタ認知)

〇ご存じの通り「取説(とりせつ)」は「取扱説明書」を短縮した言葉で、カタカナで「トリセツ」と書くことも多いようです。10年ほど前に、若い女性の歌手が歌っていた同名のヒット曲を聴いた際、私も初めて取扱説明書を略してトリセツと呼ぶことを知りました。

〇トリセツには普通、その製品の「スペック(性能)や特徴」「正しい操作方法」「上手な使い方」「使用上の注意」「故障の見分け方」「安全に関する注意事項」などが記載されていますが、冒頭からすべて読む人は皆無でしょう。必要な時に該当箇所を読んで対処することがトリセツの目的だと思います。

〇このように家電などの操作を書いたトリセツはなじみ深いですが、「『自分のトリセツ』とはいったい何のことだろう?」と疑問に思う方もいると思います。簡単に言えば、「自分を知る」ということであり、日頃から統計的に「自分はこういう時にはこう考えたり行動したりすることが多い」と自分を客観視することです。

〇そのように、自分の「心や内側」に関心をもち、徐々に自分の「輪郭や本質」を理解することは、大人になる過程では欠かせないものであると思います。ただし「どうせ自分は~のような人間だから」と開き直るのではなく、今の自分を出発点とし未来のなりたい自分をイメージしながら、やりたいことやるべきことに取り組めることが理想だと思います。

〇自分のトリセツのきっかけになり得る一つの方法として、日記も有効です。また最近は日記に似ていますが、ライフログという記録方法も広まっているようです。ライフログとは、LIFE(生活)とLOG(記録)を組み合わせた造語で、日々の生活体験、気づいた情報などを紙や手帳、スマホのアプリやブログ等にデジタルデータとして記録していくことを指すそうです。それにその時の気持ちや行動も一緒に記録することで後で振り返りやすくなったり、自分だけのオリジナリティに富んだライフログとなったりするのが利点でしょう。

〇私も昭和から平成に変わる時、何か新しいことを始めよう(それまで簡単な手帳に出来事を書いていましたが・・)と思い立ち、本格的な日記帳を使い始めました。当時は25歳でしたので、間もなく37年になり、自宅には数冊の日記帳(3年日記、5年日記、10年日記など)があります。

〇日記から転じて「自分のトリセツ(メモ)を書く」にはまず、自分の強みや弱みを把握することから始めるのがよいと思います。人にはそれぞれ物事の見方や感じ方の癖がありますが、それを癖ではなく自分軸と捉え、生きていく途中に迷ったりつまずいたりした時に参考に見るメモがあれば、安心感を得るなどの大きな要素になります。

〇昔から「己事究明」といって、「自己とは何かを究めて明らかにすること」を若者は求める傾向にあります。先月に「一つのことを考え抜くのは大人への一歩」と題して「哲学」について書きましたが、中学生くらいになると、やたらに理屈っぽくなり、世の中の出来事も批判的に見るようになります。この屁理屈こそ中学生には大切ではないか?と思います。ただ外ばかりでなく、自己に対してもも批判的になりますので、極端に自己否定にならないようにすることも重要です。

〇自分のことを見つめることをマインドフルネスでは「内観」とも言います。よく生徒の学習や大人の仕事でも予習よりも復習が肝心だと言われますが、私も含め想像するに自分自身について丁寧に復習している大人はあまりいないのではないでしょうか。忙しいことを理由に、SNSなどの外部の刺激には反応しても、自分自身の身体にだけ意識を通し続けることは避けているのが実情でしょう。

〇自分のことを客観視する「自己モニタリング」は、ストレス対処やパフォーマンスの向上に役立つといいます。その自己モニタリングに欠かせないのが、「メタ認知」で、「メタ認知」とは「自分自身の認知(考える・感じる・記憶する・判断する等)を第三者的な立場から冷静に客観視できる能力」のことです。この能力によって自分が行っていることが正しいのか、また間違っているのであればどのように修正すればよいのかを判断することができるようになります。もちろん中学生にもこの能力は十分にあります。

〇メタ認知が高くなれば、自分の得意・不得意なことを的確に認識し、「自分ができないことをするためにはどうしたらいいのか?」という問いに対して自分で答えを出そうとします。この客観的な視点から自身を認識することと他人から見た自分の姿を一致させていくことで、本当の自己肯定感が生まれます。「自分には●●という長所があるので、それをいかして〇〇を頑張っていきたい!」とすべての生徒が言えるようにしていきたいと願います。

須藤昌英

 

12月9日(月)「推し活」についての一考

〇最近よく耳にするようになった「推(お)し活」とは、アイドルやキャラクターなどの「推し」、いわゆるご贔屓(ひいき)を愛でたり応援したりする活動のことのようです。

〇この時期によく「新語・流行語大賞」が発表されて話題になりますが、「推し活」は3年前にノミネートされています。そもそも「推し」という言葉は 1980年代頃からアイドルオタクの世界で発祥した俗語のようで、「あなたが推しているモノは何ですか?」などと、好きなモノを聞く文脈で使われています。

〇誰でも好きなグッズを集めたりすることはありますが、少し調べるとその他広い範囲で次のような使われ方があります。

【推しに触れる】

推し活グッズを買う/推し活グッズをコレクションする/コラボカフェに行く/コラボイベントに参加する

【推しに逢う】

ライブや舞台を観に行く/推しのDVDや配信映像を鑑賞する/撮影スポット、ゆかりの地などの聖地巡礼をする/ファンレターを書く/推しにプレゼントを贈る

【推しに染まる】

推しと同じものを持つ/推しのイメージカラー(推し色)の服やコスメを集める

【推しを広める】

SNSで推しの魅力を語る/推しを他人に布教する

【推しを感じる】

一人静かに推しのことを想う/推しが生きて存在していることに今日も感謝する

〇23歳の社会人1年目の娘もご多分にもれずにこれまで様々な推しのアーティストのライブ等に行っていました。アルバイトで得たお金はほとんどそれに使われていたようです。ただ最近は先日も「昭和」について書きましたが、特に昭和時代の音楽が大好きなようで、わざわざ古いレコードやカセットテープを購入し、それに合わせてレコードプレーヤーやカセットデッキも揃えて楽しんでいます。時々「私も昭和に生まれたかった」と言っています。

〇推すという行為は「社会が多様化に向かっていることを象徴している」と指摘する人もいます。若者の間でも日本の従来からの終身雇用に固執することなく、自身のキャリアに積極的な転職を視野に入れておくことも普通になっています。また日常の消費に対しても、例えば大きな仕事が終わると少し高めのスイーツを買って自分へのご褒美などと言い、日々の活力や安息につなげています。

〇つまり「推し活をしている間はツライ日常を忘れることができる」「推し活のためにやりたくないことも頑張れる」というように、推しへの傾倒や消費そのものが自身を励ますことにつながることは理解できます。ただ一部で自身の経済力と見合わない推し活をし、昨今言われる「推し疲れ」のように「推す」ことをやめたいと感じることもあるようで、注意が必要です。

〇私は以前から「推しのもつ前向きで活動的な面を学校の活動にも活用できないか・・」と考えていました。例えば生徒が「この活動(委員会や部活動)は自分のモチベーションがあがる」「この教科をどこまでも深く突き詰めたい」など、それぞれの興味や関心を優先することももっと引き出してあげたいです。

〇そのためにも我々大人が自分のもっている興味や関心のレベルを保ちながら持ち続けつつ、一人ひとりの生徒が持っている興味・関心を伸ばすという視点を失わないようにしたいです。一見学校の授業とは関係ないように見えることでも、本人が興味を持ち集中して取り組んでいることをきっかけに学ぶことの面白さを体験することができます。そこから学びを深めていくことによる成長は目を見張るものがあると、これまでの教員生活で実感しています。

〇今年もあと3週間(2学期は2週間)と残り少なくなってきました。「今日も私は『●●という推し活』があるから学校に行きたい」と思ってくれる生徒が増えることを望んでいます。

須藤昌英

 

12月6日(金)1学年校外学習

〇本日の1学年校外学習は、公共交通機関の電車を利用し、上野恩賜公園にある博物館や美術館、動物園等の見学が主な行動です。

R6年度1学年校外学習スローガン「一意(いちい)専心(せんしん)~みんなでつくりあげよう~」

*スローガンのねらい

・他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中すること。

・この校外学習でクラスを1つに学年を1つに!

〇昨日は体育館で事前指導として、行程や注意事項の最終確認を行いました。

 

〇生徒用しおりに掲載した校長のメッセージです。

新しい発見と小さな感動の体験を! 校長 須藤昌英

1学年の皆さんを見ていると、4月の入学式の頃に比べて、中学校生活にも慣れ、充実した毎日を過ごしているようです。入学前に想像していた生活と大きな違いを感じる人もいるでしょうし、一方で段々と「中学校とはこういうところなんだ」と達観し始めている人もいることでしょう。

小学生だった頃までは、ある程度大人が計画したことを素直にやってみることを求められてきたと思います。しかし、中学生は自分で考え、実行していく力をつけていく必要があります。

今回の校外学習もあらかじめ決められたスケジュールはありますが、その一つ一つを「これは何のためにやるのか?」「どうやったら上手くいくだろうか?」と自分たちに問いかけてみましょう。人を頼りにするのではなく、自分で考え正しく判断し、自分でやり遂げていくことを「自立」といいます。

一人ひとりの自立した行動が、校外学習が成功するかしないかのカギとなります。そしてこの経験が、来年以降の林間学校や修学旅行につながる行事となることを願っています。

事前に調べたことを実際にその現地に行き、観察・実験・体験、さらには資料収集等をすることを「フィールドワーク」と言います。本やインターネットで見たり知ったりした知識は、実感が伴わないことが多いので、時間が経過すると忘れがちです。しかし、自分の目や耳、その他の感覚をフル稼働して体験したことは、それと関連した知識と結びつくことにより、「生きて働く知識」と昇華します。 

この校外学習で皆さんにお願いしたいことは、現地でどれだけ多くの新しい発見ができるか、そしてそれらを心の底から素直に感動できるかを意識して、楽しんでほしいということです。きっとみなさんにとって、上野の地が「学びの場」となることでしょう。

各クラスの実行委員の皆さん、よろしくお願いします。校外学習を終えてから、さらに一回り大きくなった、中学生としての皆さんの姿を見られることを期待しています。さあ出発しましょう!

〇朝から生徒たちの様子を随時アップしていきます。

【予定】

7:45生徒集合JR北柏駅

8:09北柏駅出発

8:12柏駅到着乗り換え

8:34柏駅出発

9:03上野駅到着上野動物園へ移動

9:15上野動物園前開校式集合写真撮影

9:40班別行動開始

11:55上野動物園前広場 昼食

13:10上野動物園散策

14:05閉校式

14:42上野駅出発

15:09柏駅到着

15:24柏駅出発

15:27北柏駅到着 解散                                

 

【生徒たちの様子】朝の北柏駅集合はスムーズで、電車の中でもマナーを意識した行動でした。素晴らしいと思います。冬晴れの青空といちょうの黄色が見事なコントラストの上野恩賜公園。朝から各博物館等は行列が出来ています。同様の校外学習の他、外国人観光客の多さに驚きです。国立の博物館や美術館は展示が充実しているので、とても短い時間では見学しきれませんが、大人になってもリピーターとして訪れるきっかけになって欲しいです。私も国立科学博物館に午前中いましたが、以前になかった地球館は、地下三階地上三階の大きさで、とてもじっくりとは観られませでした。また来ようと思いました。時間通りに元の場所に集合し、昼食は大噴水の前で持参したお弁当を食べました。美味しそうでした。その隣で食べ物のフェスをやっていたので、いい匂いがしていました。余計に食欲が増したようです。午後は上野動物園です。生徒に「見たい動物は?」と尋ねると、「レッサーパンダ、キリン、ホッキョクグマ・・」など様々。残念ながらジャイアントパンダはいません。ゾウを見ると道徳の教科書にあるお話し(太平洋戦争中に、空襲などで動物が逃げ出すことを避けるため、上野動物園のゾウを殺処分した史実)を思い出しました。園内には多くの保育園児や幼稚園児がいましたが、彼らもほんの少し前はあのように幼さかったと思うと、よくここまで成長しているなと感動します。あすなろ一組は担任の作成した園内マップに見られた動物のシールを貼ってまわっていました。閉校式も実行委員会を中心によくできました。このままであれば、来年の林間学校も大丈夫だと感じました。帰りは始発電車でみんなが座れましたが、途中から乗る人がいるとあえて立ち席を譲る生徒もいました。シルバーシートの意味もお互いに話していました。柏で乗り換えて、北柏駅で解散です。夕方は少し寒くなってきました。週末は体調に留意し、また月曜日に会いましょう。自宅まで気をつけて。さようなら。

【校外学習を終えて】

朝の上野恩賜公園での開会式に、「この公園は江戸時代まではすべて寛永寺というお寺の境内でした。広大ですね。それが160年前の明治維新で国内戦争があり、この上野で多くの人が亡くなり、寛永寺も焼け野原になりました。その後いろいろと整備されて今のこの公園になっています「今駅から通ってきた時に見たと思いますが、西洋美術館はもう長蛇の列でしたね。私たちは電車で30分で来られますが、あの列の中には飛行機や新幹線で全国各地から来ている人も大勢います。それだけこの地にある国立の施設(博物館や美術館)は素晴らしいモノが集められているのです。」「それを考えると君たちは幸せですね。今日だけですべての見学はできませんので、今日はあくまでも興味のあることにふれるきっかけになればいいなと思います。ディズニーランドのリピーターもいいですが、上野のリピーターになるのも面白いかもしれません。」と話をしました。

学校に帰って引率職員で反省会をしました。今回は私も含めて10名の職員で160名の生徒を引率しました。ただし来年と再来年の林間学校や修学旅行は、同じ人数で宿泊を含めた2泊3日を引率します。十分に事前の入念な計画と安全に関する指導はしていきますが、ご家庭でもそのあたりの事情も含めて、今日の話を聞いてあげてください。ありがとうございました。

須藤昌英

12月5日(木)「やさしい心が一番だよ」人権に関する講演会

〇昨日の午後は体育館で、柏人権擁護委員協議会主催の講演会を開きました。講師は、「いじめ問題の解決に取り組むNPO法人ジェントルハートプロジェクト」の理事である小森美登里さんで、全校生徒を対象に「やさしい心が一番だよ」と題して話をしていただきました。

〇小森さんは今から27年前、当時高校一年生だった一人娘の香澄さんをなくしました。いじめを苦にした自死でした。「娘と同じように苦しみそれによって家族などが悲しい思いをこれからは決してしてほしくない」という願いから、ご夫婦でNPO法人を起ち上げ、全国の学校を講演してまわっていらっしゃいます。著書も数冊あります。

〇私は前任校でも講演していただいたので、数年ぶりにお会いしました。講演前の校長室でいろいろお話をさせていただきましたが、今月も新書「いじめに対する大人の誤解―スクール虐待の現実―(新日本出版社)」を出版されるので、出版記念のトークイベントがあるなど、お忙しいそうでした。「娘も存命ならば、42歳になっています。今日も心を込めて生徒さんたちにお話しさせていただきます」とおっしゃっていました。

〇生徒たちは真剣に話に耳を傾けていました。特に「被害者責任論」と言われるものは決して容認されてはならないというお話が印象的でした。もしいじめを受けた被害者からの相談を受けた際、「あなたの方にも原因があったのでは?」「あなたから止めてほしいって言ったの?」「もっとあなたも強くならないとね!」などは禁句です。やはり「つらかったでしょう。もう大丈夫だよ」の言葉がけが何よりも大切です。その他、お子様から心に残っている話を聞き出してみてください。

〇講演後、「世界に一つだけの花(作詞・作曲 槇原敬之)」の一番だけを歌詞の意味を考えながら全員で聴きました。

花屋の店先に並んだ

いろんな花を見ていた

ひとそれぞれ好みはあるけど

どれもみんなきれいだね

この中で誰が一番だなんて

争うこともしないで

バケツの中誇らしげに

しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は

どうしてこうも比べたがる

一人一人違うのにその中で

一番になりたがる

そうさ 僕らは

世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ

その花を咲かせることだけに

一生懸命になればいい

〇最後に、小森さんの詩を山中教諭が朗読して終わりました。

「生まれてきてくれてありがとう~この詩を香澄へ、そしてすべての子どもたちへ贈ります~(小森美登里)」

ありがとう 生まれてきてくれて

ありがとう 病気をした時 いっぱいいっぱい心配させてくれて

ありがとう 多くの出逢いをプレゼントしてくれて

      そして 楽しい思い出 一杯くれて

ありがとう 生きる意味を考えるチャンスをくれて

      そして全ての命がいとおしいと感じさせてくれて

ありがとう お父さんとお母さんと出逢ったこと

      間違いじゃないって気付かせてくれて

ありがとう こんな私に子育てさせてくれて

      あなたをこんなに愛させてくれて

ありがとう 教室の中の子どもたちの苦しさ悲しさ

      いっぱい教えてくれて

ありがとう 「やさしい心が一番大切だよ」の言葉を

      残していってくれて

      そして、この言葉を伝える人生をくれて

ありがとう 15年と7カ月私と生きてくれ

      いつか逢える楽しみをくれて

      お母さん、それまで頑張って生きるよ

ありがとう ありがとう ありがとう

      言い尽くせない たくさんのありがとう

      でもごめんね 守りきれなくて

ありがとう ありがとう ありがとう

      全ての子どもたちへ 

生まれてきてくれてありがとう!

〇演題の「やさしい心が一番だよ」は、生前の娘さんが小森さんに何度かつぶやいた言葉だそうです。子どもも大人もかみしめていきたいものです。

須藤昌英

 

 

12月4日(水)職業人から学ぶ「企業来校型交流授業」(2学年)

〇昨日の5.6時間目に、一般企業7社の方々に来校していただき、「働くこと」への理解を深める交流授業を行いました。一つの授業(30分程度)を3ローテーションして行い、司会・運営・企業の方への挨拶等は全て生徒に行わせました。

〇ご協力をいただいた企業は、

1.みどり産業株式会社 様

2.東部重工業株式会社 様

3.ロマン産業株式会社 様

4.日新火災海上保険株式会社 様

5.(株)富士エコー 様

6.JAL Agriport株式会社 様

7.社会医療法人社団蛍水会名戸ヶ谷病院 様

〇激しく変化を続ける現代社会で、4~6年後に2学年の生徒たちは成人(18歳または20歳)となります。その時にはどんな職業で社会に貢献していくかのイメージをもっていることが不可欠です。自己の生き方を考えるようにするために、職業や自己の将来について考えるともに、その前提となる自己肯定感・自己有用感を育てることを、学校はすべての教育活動で目指しています。

〇学校で実施するキャリア教育は、あらゆることを他人事ではなく自分との関わりとして大切にする自我関与や物事を多角的・多面的にみる力を養うことなどをねらいとし、家庭、学校、及び地域における学習や生活の見通しを立て、学んだことを振り返りながら、新たな学習や生活への意欲につなげたり、将来の生き方を考えたりする活動です。

〇ただ社会環境の変化に加え、産業・経済の構造的変化、雇用の多様化・流動化等は、生徒たち自らの将来のとらえ方にも大きな変化をもたらしています。特に生徒たちは自分の将来を考えるのに役立つ理想とする大人のモデルが見付けにくく、自らの将来に向けて希望ある夢を描くことも容易ではなくなってきています。さらに彼らの心身の発達も以前から変化し、例えば一般的に身体的には早熟傾向にありますが、精神的・社会的側面の発達はそれに伴っておらず遅れがちであるなど、全人的発達がバランス良く促進されにくくなっています。

〇そこへコロナの影響もあり、具体的には人間関係をうまく築くことができない、自分で意思決定できない、自己肯定感をもてない、将来に希望をもつことができないといった生徒の増加などが指摘されています。とどまることなく変化する社会の中で,生徒たちが希望をもち、自立的に自分の未来を切り拓ひらいて生きていくためには、変化や失敗を恐れず、変化に柔軟に対応していく力と態度を育てることが求められています。

〇昨日の交流授業では、私自身も環境や農業、製造や運送、保険や医療等の専門家のプレゼンを聞き、とても参考になったことが多くメモをたくさんとりました。やはり学び続けることは大切だと感じました。そして何よりも一緒に参加した生徒たちが疑問に思ったことを質問したり学んだことの感想を発表したりする姿が、通常の授業よりも立派であり、「いつもみているようでも、それ以上に成長しているな」と感心を通り越して感動しました。企業の方々からも「素直で熱心な生徒さんたちですね」と帰りがけに声をかけてもらいました。

〇私もそうでしたがよく中学生には「今何のために学んでいるのかわからない」という気持ちが絶えずあります。企業の方々も自分の経験談の中で、「自分が中学生の時には●●を勉強する意味がわからなかったけれど、今はそれがよくわかります。まずは興味をもつことを大切に授業を受けてください」とアドバイスがありました。今後の生徒たちの変化が楽しみです。

須藤昌英

 

 

 

12月3日(火)合格祈願マンホールカード

〇先日の広報かしわの掲示板に「合格祈願のマンホールカードをプレゼント」と題し、「丸いから『落ちない』、表面の凹凸で『滑らない』というマンホールの特徴にあやかり、マンホールカードで受験生や資格試験などを控える方を応援します」とありました。一人1枚先着500名とあったので、早速朝の9時にかしわインフォメーションセンターに行き、もらってきました。

〇全国には様々な合格祈願グッズがあります。神社のお守りや絵馬、お寺の達磨や破魔矢などは定番でしょう。語呂合わせで五角形の物が「五角形(合格)」を連想させるので、五角形の鉛筆やはし、私も大学受験の際に使っていましたが五角形のマグカップなどがあります。昨年の卒業生の時には、広島県の「宮島の合格しゃもじ」を校長室に飾っていましたが、今でもあります。

〇静岡県の大井川鐵道には「合格駅」があります。受験生にとって縁起の良いこの駅は、1927年に大井川鐵道が初めて部分開業した日に営業を開始した歴史ある駅ですが、元の駅名は確か「五和(ごか)駅」でした。私も昔3年生担任だった際に、現地に行き何だか忘れましたが何かのグッズを購入した記憶があります。

〇調べるとこの願掛け(お守り)の起源は縄文時代にさかのぼるようで、当時の人々が魔除けとして勾玉を身につけていたのが始まりだそうです。その後日本に仏教が伝播し寺で呪符が配られるようになり、さらに平安時代後期の懸守(かけまもり)には、仏像が彫られた木製の円柱が納められていたようです。いつの時代にも人間は、祈りと共に生きていたということでしょう。

〇今回はマンホールですが、世の中では珍しいマンホールを撮影して歩く人がいたり、「マンホール女子」という言葉もあったりします。各地ではマンホールにスポットを当てたイベント等も開催されており、予想外といっては失礼ですが、マンホールがひそかなブームとなっています。

〇東京の湯島天神は学問の神様で有名ですが、「合格守」というお守りはないそうで、そもそも普段からの勉学の成果が合格に結びつくものであるという考え方から、「学業成就」「学業守」となっているのだそうです。私もこれが本当ではないかと思います。合格祈願・学業成就は本人の努力が一番肝要で、それを精神的にサポートしてくれるのがお守りであり、たとえ受験の結果がどうであれその努力した経験こそ次にいきてくるのだと思います。

〇今年の修学旅行でも何クラスかは、学問の神様と言われる菅原道真を祀る京都の北野天満宮に団体参拝し、祈祷を受けてお札を授かりましたが、これも確か「学業成就」と書いてあったと思います。今は高校や大学の受験の際に祈願する人がほとんどでしたが、昔はもっと幅広く職人ならばその技能を、武士ならばその武芸の上達を願っていたのでしょう。

〇昨日の午後は本校の進路検討委員会を開き、現時点での3年生全員の進路希望先を確認しました。以前にも書きましたが、進路指導は窓口である担任が生徒や保護者とやりとりをし、その経過はすべてこの委員会に報告されます。この委員会の委員長は校長ですので、先月まで行ってきた生徒との校長面接の中で本人が述べていたこと(やりたいことや将来の夢)を思い出しながら参加しました。

〇きっとこの「柏市版マンホールカード」が、学び成長し続ける本校の3年生たちの奮闘を後押ししてくれると思います。

須藤昌英

12月2日(月)生徒の人権「子どもの権利」

〇12月に入り朝晩の冷え込みは冬を思わせますが、まだ日中の暖かさにはホッとします。先日のシグフィーでお知らせした「セクシュアルハラスメント等及び体罰に関する実態調査(学校生活アンケート)の実施について」は、12月が全国人権週間であることも踏まえ、毎年実施しているものです。

〇そもそも教職員によるセクシュアルハラスメント(性暴力を含む)を防止するには、正しい人権意識が不可欠です。1989年に国連総会において採択された「子どもの権利条約(18歳未満の人)」は、子どもが守られる対象であるだけでなく、権利をもつ主体であることを明確にしました。子どもが大人と同じように、ひとりの人間としてもつ様々な権利を認めるとともに、成長の過程にあって保護や配慮が必要な子どもならではの権利も定めています。

〇具体的には、「生きる権利」「成長する権利」「暴力から守られる権利」「教育を受ける権利」「遊ぶ権利」「参加する権利」など、世界のどこで生まれても子どもたちがもっている様々な権利が定められました。この条約が採択されてから、世界中で多くの子どもたちの状況の改善につながってきており、日本も例外ではありません。1989年はちょうど平成元年ですので、私が教員としてスタートして3年目にあたり、学校現場でもその話題が多くなってきたことを思い出します。

〇すべての教職員は日頃から生徒に対し、1対1で閉鎖的な状況で指導や対応をしない、不必要な身体接触はしない、管理職の許可のないメッセージ等の送信はしないことを認識しています。問題行動が発覚しても必ず複数の教員で、事実や原因の聞き取り等を決めつけや押し付けをしないで時間をかけても丁寧に行っています。確かに昭和の時代までは、該当生徒の言い分を十分に聞かずに状況を判断し、その後も「今回のことを自分で保護者に伝えるように」のような指導がありました。

〇しかし現在は、たとえ時間がかかっても生徒本人が自分のしてしまったことと正面から向き合い(多くはこれに時間を要します)、その時の心境や周囲との人間関係、その後の気持ちの変化などを浮き彫りにし、それを管理職も含めた職員の中で共有し、その詳細を保護者に伝えています。単純に比べることはできませんが、昭和の時代の指導よりも数倍の時間をかけています。これも「子どもの人権」を第一にした意識の変化です。

〇学校教育法第11条は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。 但し、体罰を加えることはできない」と規定されています。この懲戒とは、生徒に問題行動等があった場合に、これを正すために指導や助言、時には一定の行動制限を加えることをいいます。要約すれば、体罰(生徒の身体に対する侵害)は論外であり、前述のような生徒の人権を尊重した指導をしなければならないということです。

〇また生徒に肉体的苦痛を与えるようなもの(指導中に生徒がトイレに行きたいと訴えても認めない、課題などを忘れた生徒に対して自席ではなく教室の後方で授業を受けさせるなど)も体罰の範疇になります。一方で懲戒権の範囲内と判断されると考えられる指導として、放課後等に残して話を聞く(指導する)、未提出の学習課題を課す、立ち歩きの多い生徒を叱って席につかせる等は認められています。いずれもそのことを通して生徒本人に振り返りの時間をつくったり、クラスなどへの影響を考慮したりしたものです。

〇冒頭の実態調査においては、生徒の記述があった場合には事実確認をしたり、調査結果を教育委員会への報告をしたりしていきます。お子様に回答内容を確認していただき、もし相談等があれば担任や職員に連絡をしてください。

 須藤昌英

 

11月29日(金)第2回授業参観

〇昨日はとても暖かく、穏やかな一日でした。午前中は多くの保護者の方々にご来校いただき、生徒たちの学びの姿をみてもらいました。私もいつもように各教室を回っていましたが、生徒たちは授業参観だからといって「よそゆき」な素振りもなく、普段通りの学びの姿でした。

〇富勢中学校区小中学校4校の共通教育目標は、「自ら学び 心豊かに たくましく生きる富勢の子の育成」です。またこの夏季休業中に富勢中学校区小中学校4校の教職員と各校PTA役員、学校運営協議会委員、富勢中代表生徒で行ったワークショップ(熟議)を受けて、「本学区での義務教育9年間の学びを通して、富勢中を卒業する時に身につけさせたい力や目指す児童・生徒像」をまとめました。

〇特に熟議の最後に、いろいろな身に付けさせたい力や目指す児童生徒像を実現する前提としての「児童生徒にとって一番大切なのは健康と体力であり、その上に社会性やコミュニケーション能力、チームワークを大切にする心、自立心等々が養われていくだろう」を仮説として、変化が激しく多様性が求められる時代を生き抜くために必要な力を次の4つに絞りました。                  

1 自分を大切にし、他者を尊重する力

自分の意見や感情を大切にしつつ、他の人の気持ちや考えも理解し尊重できる力。多様な社会の中で、お互いを尊重し合いながら成長するための基盤となる。

キーワード: 「まずは自分が大切、ならば皆も同じく大切にしよう!」

2 考えを伝え、協力する力

自分の考えや意見をしっかり表現し、他者と協働して物事を進める力。チームでの協力やコミュニケーションを大切にし、共に目標を達成できるようになる。

キーワード: 「親しくはない仲間の中でも、お互いに考えを伝え合おう!」

3 しなやかに挑戦し続ける力

困難に直面しても、失敗を恐れずに挑戦し、学び続ける力。未来に向かって、自分の道を切り開くために必要な自己肯定感や、柔軟な思考を身につける。

キーワード: 「失敗を失敗のままで終わりにせず、それを活かそう!」

4 社会で活かせる学びの力

基礎学力をもとに、実社会で必要な知識やスキルを使いこなす力。自分の興味を活かしながら、これからの社会で役立つ力を身につけていく。

キーワード: 「学んだことのエッセンスを、自分の将来のベースとしよう!」

〇昨日の授業もその視点からみると、学年や教科の違いはありますが、上記の4つのどれかを目標として展開されていることがわかります。例えば国語や社会で単元の内容を自分で調べてクラスで発表することは、「考えを伝え、協力する力(キーワード:親しくはない仲間の中でも、お互いに考えを伝え合おう!)」に合致し、数学や理科で紙の立体や前線の模型を作成することは、「しなやかに挑戦し続ける力(キーワード: 失敗を失敗のままで終わりにせず、それを活かそう!)」に沿った活動になります。

〇参観していただいた感想を全職員で分析し、今後も質の高い授業(生徒が主役となり、時間内に学んだ知識をいつでも使える知識に昇華していく)を目指してまいります。

須藤昌英

 

 

11月28日(木)昭和百年への思い

〇今年も残りほぼ1カ月で終わります。来年は令和7年ですが、平成で言えば37年、昭和で言えばちょうど100年にあたります。また「昭和の日(4月29日)」は、国民の休日に関する法律の一部改正で、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ことを目的に制定されています。

〇確かに昭和時代には大きな戦争(太平洋戦争)もあり、その死者は310万人と言われています。私は昭和38年生まれですので、終戦から18年しかたっていませんでしたが、幼児期に東京オリンピックや大阪万博があり、今思うとそれらが復興の象徴だったのだと感じます。

〇昭和の終わりは1989年1月7日の昭和天皇崩御でした。私は教員になって2年目でしたので、連日報道された昭和天皇のご容態の変化のニュースを見た当時の生徒たちと教室で、「これから日本はどういう時代になるのか?」などと話していたことを思い出します。実際にしばらくは明るい街中の看板のネオンやテレビのバラエティ番組が止まり、自粛ムードが日本全体を包んでいました。

〇翌1月8日は「平成」という改元の発表がありました。当時の小渕官房長官が「平成」という文字を掲げて発表したので、小渕さんは「平成おじさん」と呼ばれていました。しかしみんな見慣れない「平成」という元号が果たして受け入れられるのか?と思っていました。実際にその年の卒業式は「昭和64年度」ではなく、「平成元年度」となり、出席した生徒や保護者、教職員も少し戸惑いがあったことを覚えています。

〇元号が変わるという初めての経験でしたので、何かすべてが新鮮なイメージでした。平成から令和への改元はまだ数年前であり、天皇陛下が亡くなられる前に譲位する「生前退位」でしたので、37年前の昭和から平成の時よりはその直後のコロナ禍の影響もあり、淡々としていました。

〇詳細はわかりませんが、西暦200年になるときに言われた「2000年問題(コンピュータシステムの誤作動が起こる可能性が懸念された)」と同様の心配が「昭和100年問題」と言われているそうです。24年前の当時も学校では色々なデータをコンピュータで一括管理する体制に移行していたので、成績等が消失してしまうのではないか?とあれこれ心配していました。今回も大きな混乱がないことを願います。

〇12年前に亡くなった父が、1925年生まれなので来年で生誕100年になることを家族では前から意識していました。今は「人生100年」と言われるようになったので、これからますます百歳の方々が増えることでしょう。また今の天皇陛下と私はほぼ同年代なので、「次の改元まで生きていられるか?」なども考えるようになりました。

〇生徒たちは平成に生まれ令和で成人し、これからの時代を自分の好きなことに精一杯取り組んでもらいたいと思っています。そのためには昭和時代のむごい戦争や平成時代の社会衰退から学び、令和を持続可能で誰もが希望を胸に生ける時代にみんなでしていかねば・・と思います。

 須藤昌英

【平成の元号を発表する当時の小渕官房長官】

11月27日(水)災害(防災)用井戸掘削工事

〇本校にはこれまで災害用井戸はありませんでした。そのことは先日に本校体育館で実施した富勢地区の避難所開設訓練でも課題として挙げられていました。そこで昨日から災害用井戸の掘削工事が始まりました。正門を入ってすぐ左のスペースに業務用の掘削機が入り、地下約70mまで掘るそうです。

〇災害用井戸は地震や台風などの災害時に、水道が断水した場合に不足する水を確保する手段の一つであり、井戸の設置目的や管理状況等により、消防用水、飲料水、生活用水などに用いることを想定しています。害時には多くの生活用水が必要ですが、本校の井戸は飲めませんので、非常用トイレなどに活用します。

〇では防災井戸とはいったい何をもってして防災井戸と呼べるのかというと、昔から一般家庭で使用されている井戸の唯一の弱点ともいえるのが、「電動ポンプ」を使っていることであり、電力の供給が止まってしまえば、水を汲み上げることができません。外から見てもはいつもと変わらない状態でも、停電によって井戸が使えなくなってしまうのです。

〇そこで防災井戸に欠かせないのが「手押しポンプ」です。今はその手押しポンプ自体の性能も向上しているので、高齢者や子どもでも簡単に水を汲み上げることができます。私は自宅近くで借りている畑で野菜を栽培していますが、その近くに昔ながらの手押しポンプの井戸があります。夏は何回もくみ上げるので重労働ですが、スポーツジムのトレーニングだと思うと楽しくなります。3歳の孫娘はこの井戸が大好きで、まだ上手く汲み上げられませんが、私が手伝おうとすると、「手出しするな」と怒ります。彼女にとっては家庭の水道との違いが面白いらしくいつまでもやっています。

〇大切なのは防災井戸として安定的な水量を確保するため、豊富な水量があると想定される場所であることです。掘削業者によると、本校は少し台地になっていますが、その下は多くの水脈があり、その心配はないそうです。私たちは通常、トイレやお風呂、洗濯などの生活用水として人当たり1日186リットル以上使っていると言われています。手押しポンプは1時間あたり最大で2,640Lの性能があるようで、実際の災害時には通常のように水は使えませんので、中学生などが交代で井戸の稼働をすれば、避難所や地域住民が使用しても大丈夫です。

〇過去の大規模な災害の発生によりライフラインが寸断され、深刻な水不足に陥った地域も少なくありませんでした。特に生活用水が不足し、トイレに行くのを我慢するために水を飲まない人が多くいて、それが脱水症状からエコノミー症候群や心筋梗塞などにもつながりますので、水の確保は命に直結する重大な課題です。

〇完成までに約二週間かかります。正門付近には交通整理員が立っていますが、工事車両が出入りしますので、登下校時の生徒の安全を最優先します。また明日の授業参観も正門ではなく、体育館脇の東門をご利用ください。

須藤昌英

 

11月26日(火)一つのことを考え抜くのは大人への一歩

〇先週の朝日中高生新聞に、「実は楽しい、哲学」という特集記事がありました。「古代ギリシャのソクラテスをはじめ、先人たちの『愛』は脈々と今日まで受け継がれ、現代人の頭にも『インストール』されています。哲学の入口に立ってみませんか?」とリード文があります。

 

〇一般の人が「哲学」と聞くとどのような印象を持つでしょうか。おそらくは難しそうに思えたり、敷居が高くて自分には無関係と感じたりしてしまうかもしれません。ただ中学生くらいになると、やたらに理屈っぽくなり、世の中の出来事も批判的に見るようになります。私もその頃にはよく両親に、「屁理屈(へりくつ)ばかり言っていないで・・」と言われたのを思い出します。

〇ただこの屁理屈こそ中学生には大切ではないか?と思います。それまでは大人の言っていたことを素直に聞いているだけだった子が、自分なりの見方や考え方を持つようになる。もちろんすべてを拒絶するのではなく、少しは相手の言葉にも耳を傾けて欲しいですが、この変化も立派な成長だと思います。

〇「哲学(philosophy)は、『知を愛する』というギリシャ語に由来します。哲学者はこの世界の本質を数千年の間、論理や思考を通して解き明かそうとしてきました。中学生も「自分ってなんだろう?」「生きる意味ってなんだろう?」とか、「時間ってなんだろう?」「言葉ってなんだろう?」などのいかにも「哲学的な問い」を持ち始めますが、答えが出ないことが多く、効率の面から考えるとあまり役に立つ気がしません。

〇そもそも小中高校で習う学校の教科の中には「哲学」という科目はありません。ただすべての科目のベースに「哲学」は潜んでおり、「哲学とは何か」という問いにひと言で答えるなら、「その様々な物事の本質をとらえる営み」と言えます。さらに過去の哲学者の多くは、自分の人生についてとことん考え、悩み、生き抜いた人たちであり、一般人である私たちも同様な壁に何度もぶつかって生きているのであり、その入り口が中学生時代です。

〇冒頭の中高生新聞に、哲学に関していくつかのQ&Aがありました。紹介します。

Q 哲学の道を究める人には、どんな人が向いていますか?

A あまのじゃくな人です。強大な力に迎合したくない人、みんなが良いというものに乗っかりたくない人には特におすすめです。哲学の本質は、「抵抗する姿勢」です。ひと味違うものの見方は、新しい思考に結び付きます。哲学は西洋でしかできないという人もいますが、最近は見直されています。

Q 哲学者ってどんな人だと思いますか?

A 「いろいろと難しい人たち」という認識がありますが、哲学者のエピソードはとても人間くさいです。例えばドイツのショーぺンハウアーは、出した思想本は凄くでも、彼の大学の講義は学生に不人気で誰も出席しなかったとか、中国の朱憙は自分の学問を広めるためにウソを平気でついたなど。あくまでも我々の生活の延長線上にある人だとわかります。

Q 哲学はどんな風に学ぶものなのでしょう?

A 誰かの考えたことを知るには、その先人たちまで追いかける必要があります。哲学者の多くは超がつくほどの読書家。それぞれが「哲学史」の研究者で、歴史の全体像をつかみ、自分なりの哲学を築いています。

〇何か新しいことにチャレンジする時に、「とりあえずやってみよう」というタイプの人と「まずは計画を立てよう」というタイプ人がいます。前者の人は経験主義タイプ、後者の人は合理主義タイプと言えます。私もそうですが時には、同じ人でもどちらの進め方が良いか分からず迷ってしまうこともあるでしょう。哲学を学ぶことで、このような迷いに対して、ひとつの結論を出すことができるかもしれません。

〇19世紀にフランスのロダンが制作した「考える人(The Thinker)」はとても有名です。このブロンズ像は、「死すべき者=人間の悲劇的な運命について永遠の思考を続ける普遍的存在」を表現し、そこには内的な苦悩と思索の激しさが形象化されています。授業中の中学生も深く考えている場面をみると、私はまさに「考える人だな~」と思っています。

須藤昌英

 

11月25日(月)挑戦をやめない生き物を人類と呼ぶ(超進化論)

〇野口聡一(元・JAXA宇宙飛行士)氏は、これまで3度(2005,2009,2020)も宇宙船に乗船した日本の英雄です。世界初三種類の宇宙帰還を達成し、ギネス世界記録(2部門)を持っています。彼が言った言葉に「進化とは自分の性能を上げるのではなく、自分を環境に合わせることだ」があります。

〇「成長と進化」は似ているようですが、成長とは、生物でいえば育って大きくなること。人間でいえば、いろいろな学びを通し、身体や心のスペック(性能)があがることであることです。一方で進化とは、生物では遺伝子レベルで変化を起こし、環境の変化に適合した生命体をつくりあげることであり、「成長」よりもより長いスパン(時間)での変化を「進化」と呼ぶのだと思います。

〇これは19世紀の自然科学者ダーウィンがその著書「種の起源」で、「唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」と指摘しています。進化は生物が生き残るために必要なことで、進化しない生物は滅んでいくという法則です。ただこの論理は、「すべての生き物は自分の種の保存だけを目的に争って生きている」という解釈になります。冷たい感覚が残ります。

〇2年前に放送されたNHKスペシャルの「超・進化論」は、それまで見ることができなかった生き物たちの驚くべき世界を、映像化していました。植物がまるでおしゃべりするかのようにコミュニケーションをしている様子や、幼虫からまるで違う成虫の姿へと大変身するサナギの中の透視映像は、世界で初めて撮影されたものでした。

〇私が印象に残っているのは、生き物たちは、厳しい生存競争を繰り広げる一方で、種を超えて複雑につながり合い、助け合って生きているという点でした。「人間は最も進化した生き物だ」という思いこみをやめて、今後はますます地球を支える「生物多様性の本当の姿」が今後明らかになってくると感じました。

〇具体例として2つありました。まず植物は人間が持つ目や耳のような感覚器官を持っているわけではないため、私たちは彼らを「ただ黙って立っているだけの、鈍感な存在」とも思ってしまいがちです。しかし、目も耳もなく動くこともない彼らは、しかし最先端の研究者たちからすると、むしろ逆で、植物は動けないがゆえに、周囲のあらゆる環境の変化を、時に動物以上に敏感に感じ取って対応している可能性があるというのです。

〇もう一つが、森の地下には、木と木をつなぐ巨大な菌のネットワークが存在していて、この目に見えない地下でのつながりは、遺伝子解析技術によって明らかになってきており、数十メートル離れた植物どうしが、同じ菌糸(細い糸状の菌)のネットワークでつながっていること。加えて植物が光合成で得た養分が、その菌糸のネットワークを介して、他の植物へと送られているという研究結果が発表されていました。

〇「生きるか・死ぬか」「食う・食われる」だけではない、このような植物の「支え合いの世界」のように、お互いに助け合って生きていることが「超・進化論」であるならば、我々人間も争うのではなく、一緒に生きていくことをもっと意識すべきだと視聴し終わった後に感じました。

〇冒頭の野口聡一氏の格言をもう一つ、「挑戦をやめない生き物を人類と呼ぶ」。いかにも宇宙飛行士らしい直球的な言葉です。「進化は自分を環境に合わせようとすること」と合わせると、真の挑戦とは、失敗を繰り返しながらも、決して自分のためだけでなく自分も含めた環境(家族、学校、地域、国家、地球など)を守り、自分の成長を通して他に貢献していく変化だと思います。

 須藤昌英

11月22日(金)令和7年度修学旅行・林間学校予察

〇来年度は3学年修学旅行と2学年林間学校ともに6月実施を予定しています。毎年のように2学期の期末テスト期間中に、来年度の宿泊を伴う学校行事の現地視察を、担当職員が旅行業者と行っています。

〇修学旅行の予察の主な目的は、生徒の安全確保や、保護者が安心してお子様を送り出せるようにトラブルの原因を事前に排除することです。

〇なぜテスト期間に行うのかというと、まず担当職員はあらかじめテストを作成しておけば授業を振り替えなくても済むということがあります。ただテスト前にテスト範囲の授業を完了しておかねばなりませんが、授業そのものをつぶしたり変更したりする必要がないのが利点です。

〇また旅行業者は今年の1学期に、複数の業者に入札させた上で決めています。2学期になり担当職員と旅行業者の打ち合わせを続けていますが、来る3学期にいよいよ主役の生徒たちの準備が始まります。となるとこの時期に現地や宿泊先を視察しておかなければ、時間的に間に合わないことになるからです。

〇大阪・京都方面の修学旅行は鉄道を使っての移動になりますので、視察のポイントとしては、乗降する駅のホームや通路の確認、特に新幹線内の座席配置、現地でのバスや地下鉄の交通状況、万博や有名な寺社等の見学先です。

〇特に修学旅行の2日目は、事前に決めた班別の自由行動の旅行プランで、学習テーマに沿って現地での取材をし、修学旅行後にまとめる学習活動を行います。ハプニングも含めて、生徒たちの良い経験になります。

〇長野・白樺湖方面の林間学校は貸し切りバスでの移動ですので、視察のポイントとしては、高速道路のサービスエリア(トイレの場所)、 ハイキングコースの危険個所、2日目3日目の農業体験等の受け入れ先団体との打ち合わせや施設の安全状況の確認です。

〇こちらも2日目に班ごとに茅野市周辺の農家に行き、朝から午後まで農業体験をするプログラムがあります。昨年も農家の人達との交流が深まり、お別れする際に涙ぐむ生徒もいました。一緒に身体を使った作業をしたり現地の暮らしの様子を教えてもらったりと、普段はなかなか出来ない体験があります。

〇共通して特に重要なのは、宿泊先近隣の病院の確認です。急病やケガで緊急搬送することもあります。長野は宿泊地が山の上なので、もしもの時は山を下って茅野市の病院に搬送します。一方で京都は大都会ですので病院も多いですが、意外に受け入れ先が限定されているので、事前の確認が必要です。

〇幸いなのは、修学旅行の旅館は昨年の3年生(現高校1年生)、林間学校のホテルは今年の2年生と同じことです。これにより、今までのデータ(部屋数と大きさ、トイレ数や浴場の大きさ、緊急避難経路など)がそのまま活用できますので、担当者もそれによってチェックできます。

〇細かいことですが、トイレならば個室や便器の数、浴場ならば脱衣場のロッカーやシャワーヘッドの数まで確認します。私も過去に何十回と修学旅行や林間学校の担当をしてきましたが、そういう配慮があって、当日はスムーズで快適に過ごせるのだということは、生徒たちや保護者の方々にも少し知っておいて欲しいと感じます。

〇過去には別の学校で、はしゃぎすぎてホテルの備品を壊し、その該当生徒とホテルの支配人に謝罪をしたこともありますが、今の富勢中にはそういう生徒はいないと思います。

須藤昌英

【3学年宿泊】

【2学年宿泊】

 

11月21日(木)2学期期末テスト(1・2学年)

〇今日と明日は、1学年及び2学年の期末テストが行われます。すべての学習の基本と目的は、「まず覚えられる範囲で基礎的な事項を覚えつつ、次に理解できた事項を確実にいつでも使える知識にする」ことです。

〇ホームページのトップに、各学年の出題範囲表を掲載していますが、生徒は授業の中で、各教科担任から出題範囲に関するもっと細かい説明を聞いていると思います。そして各自、教科書やノート、ワークや問題集などを使い、これまで準備を行ってきています。

〇脳の海馬については以前にも書きましたが、テスト準備の期間中もしっかりと睡眠を確保し、海馬の活躍に期待するのが鉄則です。昔から「一夜漬け」つまり直前に詰め込むやり方の是非が議論されてきましたが、「一夜漬け」のようなものを「集中学習」と呼ぶに対し、逆に毎日コツコツ勉強することを「分散学習」といいます。ただし「分散」とは注意力が散漫で集中していないという意味ではなく、時間を区切って少しずつ行うことです。

〇また学習とは、「ものごとの関連性を習得すること」でもあり、今まで独立していた事実が頭の中でつながることです。簡単な例では、「GO」と「行く」のように、英語と日本語の意味の結び付けを行うことがあげられます。このつながりを強固にするには、繰り返し「学び続ける」しかありません。

〇「上手に覚える」ような成功を導き出すためには、それだけ多くの失敗が必要で、記憶とは「失敗」と「繰り返し」で形成・強化されます。何度も失敗すると、それでやる気がなくなっていきそうになりますが、その解決策の一つが、「得意な面を活かして学習する」ことです。苦手な教科は誰にでもあるもので、その苦手分野でクヨクヨせず、逆に得意を素直に活かすと、全体として成績が上昇することが知られており、教育心理学では「特恵効果」といいます。

〇これはテスト当日にもあてはまります。テストを受けている際中、自分の得意な問題から手を付け、そこから自信がつくと、やる気や集中力が高まります。よく食事で、「美味しいものを最後に食べる」「美味しいものは最初に食べる」のような話がありますが、学習については圧倒的に後者が有利で、「得意なものは最初にとりかかる」です。

〇テストは通常、採点する側の便宜を図ることから、すべて100点を満点として作成していますが、当然生徒一人ひとりの学びの現状は異なります。であるならば満点を取ることが大切ではなく、各教科の理解度を自分で把握することが本来のテストの意義です。もっと言えば「テストはゴールではなく、スタート」です。

〇先日のリフレーミングで言うと、例えば結果として65点だった教科に対し、「あれだけ準備したのに、満点まであと35点も足りないもういいや・・」ではなく、「とりあえず6割強は理解できているので、まだ完全に理解できていない内容のどこから手をつけようか・・」のように思えることが重要ではないでしょうか。

〇3年生は同じ日程で実力テスト(基本的に詳細な出題範囲表はなく1・2年生の内容も含んだ総合的な問題)を行っています。生徒たちの健闘を校長室で祈っています。

須藤昌英

 

 

11月20日(水)「言葉の職人」のご逝去

〇現代を代表する詩人の谷川俊太郎さんが、今月92歳でお亡くなりました。谷川氏は1931年に東京で生まれ、高校時代に詩を作り始め、1952年、詩集「二十億光年の孤独」を発表しデビューしました。鋭いけれども誰もがもっている感性を大切にし、テンポのよいことばを連ねるなど、半世紀以上にわたり数多くの作品を発表し続けてきました。

〇私は若い頃から谷川氏の詩を、林間学校のキャンプファイヤーや3年生を送る会などで生徒に朗読させていました。とても平易な言葉ばかりですので、読んでいるうちに生徒たちはその独特の世界に引き込まれ、普段は見せない表情をしていたことをよく覚えています。

〇代表作の「生きる」の全文を紹介します。*下線は私がつけました。

生きる

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみすること

あなたと手をつなぐこと

 生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして

かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

 生きているということ

いま生きているということ

いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ

いまいまが過ぎてゆくこと

 生きているということ

いま生きているということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ

〇以前より自分の解釈ですが、この詩のテーマは、「普段の生活(日常)にこそ生きていくことのすべて(意義)がある。そのことを再確認することが幸せを身近に感じる唯一の方法である」ではないかと感じていました。よく言われますが、十代の若者がこの詩に共鳴する部分ともっと年を重ねた大人が共鳴する部分は異なり、それが詩の素晴らしさではないかと思います。

〇谷川氏は十数年前のインタビューで、「詩というか言語というものは、われわれの世界を記述するのに、非常に不完全なもの。作品がうまくできれば満足だけど、それが真理を示しているとか、そんな気はまったくなくて、きれいで人が楽しんでくれればいい。芸術家というよりも言葉の職人っていうのかな。自分としては『職人』と言いたいんですよ」と答えています。

〇長年多くの詩によって勇気づけられたことに感謝しつつ、谷川俊太郎氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

須藤昌英

11月19日(火)ネットの偏りとディープフェイク(騙し技)

〇先日の兵庫県知事選挙で、議会から不信任決議を受け失職した前知事が再選されたニュースがありました。選挙戦の終盤にSNS上での前知事への支持の呼びかけに応じた人たちが急速に増えて投票したことが勝因の一つと言われています。

〇私たちは毎日インターネットで公開されている情報を得ることが容易となり、ありとあらゆる分野のさまざまな内容の情報が「洪水」のようにあふれています。それは現代病ともいえる「ゆっくりと集中できない心理状態」を生み出し、いつも情報に追いかけられている感覚もあります。

〇前述の選挙に関しても、一昔前ならば他の県の知事選などはほとんど関心も情報もなく終わっていました。しかし失職する前からの報道や選挙中の前知事の街頭演説の動画が拡散し、別に詳しく知りたいとは思わなくても知り得る状況です。またそうしたことからSNSに慣れている若年層の関心を招き、支持を集めたようです。もちろん投票率が上がるのは好ましいことですが、SNSの情報の中には、真偽の判断が難しいものも含まれていたと、選挙戦後にあらためて指摘されています。

〇ネットの情報が、既存の大手メディアである新聞やテレビによる情報よりも影響が大きくなる時代です。それは新聞やテレビは基本的に「公平性」を重視しますので、いろいろな視点から報道しますが、一方でSNSは一度閲覧すると同じような情報が自動的にアップされ、読者はどうしても偏った情報になりやすい面も忘れてはなりません。そういう状況は「フィルターバブル(多様な情報がブロックされて一つの情報に偏る)」と呼ぶそうです。

〇またSNSが手軽で便利なツールとなったことで、「自分に注目してほしい(承認欲求)」と思う大人や子どもが増えています。これが強すぎると承認欲求モンスターとなり、過激な写真や動画、嘘情報を何の疑いもなく投稿してしまうことまで発展する可能性があります。

〇これまでの偽画像や偽情報は、関係ない画像の無断使用、画像の一部を切り抜く、事実と異なる内容をあたかも真実のように書くという程度がほとんどでしたが、最近はAIによる画像の生成や「ディープフェィク(深いウソ)」が増えているそうです。

〇具体的には複数の異なる動画や画像、音声を人工的に合成して作られるもので、例えば顔を入れ替える、音声に合わせて写真や動画の口を動かすなどです。これらが簡単に出来るのと出来たものは本物との見分けが難しいと聞くので、どうしたものか?と感じます。悪意をもって別な人との顔と合成し、事実と異なる言葉を喋らすことも可能で、それが流行するとなると、個人の人権だけでなく国家レベルの問題にもなりかねません。

〇実際にその現地に行き、ある現象を観察・実験・体験、さらには資料収集等をすることを「フィールドワーク」と言います。本やインターネットで見たり知ったりした知識は、実際と異なる場合も多々あり、自分の目や耳、その他の感覚をフル稼働して体験したことこそ正しいことに近づけます。学校ではSNSの有効性は認めつつ、最後は自分の目で確かめる力を生徒たちに身に付けさせていきます。

〇冒頭の知事選でも若い世代は、「新聞やテレビは信用できない」「多くのネットの情報を比較して選ぶ」という感覚が強いそうです。現在兵庫県芦屋市に在住している中学校時代の野球部の旧友が、来月柏に里帰りするので当時の数人の仲間と忘年会をしようと約束しました。その際には、兵庫県民は実際にどのような感想をもったり反応したりしていることを聴いたみたいと思います。これも一つのフィールドワークだといえるでしょう。

須藤昌英

11月18日(月)「人生、遅すぎることはない」

〇9月から始めた3年生との校長面接が先週一通り終わりました。一人ひとりの話を聞いて、先日のゲームの話とも共通していますが、自分が主役となり、「主体性」をもってやりたいことに挑戦していくために、志望した上級学校で学ぶということは、とても大切であり応援していきたいと感じています。

〇ただ時々「自分自身に自信をなくしているのでは・・」と感じる生徒がいます。面接時間は一人10分間ですので、その原因を詳しく聞いたり、アドバイスをしたりすることはなかなか難しいのですが、そんなときいつも私の頭の中をよぎるのが「人生、遅すぎることはない」という言葉です。

〇この言葉は、野球漫画で有名な水島新司(1939年~2022年)作「あぶさん:84巻第3話」の題名です。この「あぶさん」もプロ野球を題材にした超大作の漫画で、41年間で全107巻、今から12年前の平成24年に幕を下ろしました。

〇私も全て読破したわけではなく、たまに見かけると読んだくらいですが、プロ野球選手の主人公が野球だけでなく、身近な人達との人情的なやりとりがクローズアップされた作品で、読むと深くその物語に入り込んでしまいます。

〇この「人生、遅すぎることはない」との出会いもひょんなことからです。まだ私が三十歳代後半で仕事で何かの壁にぶつかって悩んでいた時、たまたま家族と行っていた入浴施設のソファー横の本棚にあったコミック雑誌をパラパラとめくっていました。するとその中に、主人公が成績不振にあえぎながらもある人の言葉からまた立ち上がろうとする物語が目にとまり、その場で何度か読み返したのを今でもはっきりと覚えています。

〇帰り際には、「やってもみないことをくよくよ悩んでも仕方ない、とりあえずやってみて、もしうまくいかなかったら、またそこで考えよう」と思え、明るい気持ちで自宅に着きました。私はそれまでは「漫画やアニメは・・」と勝手に遠ざけていましたが、それをきっかけに、メッセージ性やストーリーが優れているものがけっこうあることを再発見し、注目するようになりました。

〇前振りが長くなりましたが、話をもとに戻します。冒頭の生徒達には、次のような言葉がけをしてあげたいと思っています。

今まで何度かやろうとしたけれど出来なかったこと、今の自分では到底出来そうもないとあきらめてきたことなどは、誰にでも1つや2つはあります。しかしそれらは多くの場合、『本気』で取り組もうとする前に、尻込みしてしまったことがほとんどではありませんか?「あの人だからあんなことが出来るんだ」とか「自分には到底そんな能力はない」と思い込んでいませんか?生きているかぎり、何でも「手遅れ」ということはありません。周りからは簡単そうにやっているようにみえることでも、その人は他人が見ていないところで必ず努力しています。その表面だけの姿で判断せず、まずは自分の出来ることから始めてみること。そしてそれを工夫しながら続けてみること。そのきっかけが一番重要であり、まさに今、新たなチャレンジをする勇気をもってほしい。

〇「人生、遅すぎることはない」、これは本校のテーマである「学び成長し続ける富勢中」ともリンクしています。

須藤昌英

 

11月17日(日)避難所開設運営訓練

〇昨日の午後は、富勢地区として初めて本校体育館を避難所とした開設・運営訓練を行いました。富勢地区(小学校3校、中学校1校、高等学校1校)は、布施近隣センター長が災害本部長となり、柏市職員25名が割り当てられています。そこへ各地区の防災担当者の方が加わり、受付、駐車場設定、パーテンション設営、臨時トイレ設置、ペット受け入れなどの役割分担で行ないました。

〇振り返ってのワークショップは、私がファシリテーターとなり、

①   実施する意義や成果点

②   実施した課題・改善点

③   次回へのアイデア

について話し合いました。今回は本校で行ないましたが、次は各校でも実施したいとの意見が出ました。

〇市役所職員、ふるさと協議会会長、富学協会長、本校職員、本校生徒6名で宿泊体験しました。夕食後、体育館の大スクリーンで「すずめの戸締り」という映画を鑑賞しました。日本各地の廃墟を舞台に、ミミズという大地震を起こす怪物を止めるために、主人公のすずめが旅をしながら成長していくストーリーでした。

〇日本では大昔から大地が揺れるのは、ナマズなどが暴れるということが信じられてきましたが、今は科学的日本列島は「地震の巣」であることが判明しています。少しでも避難所が地域の方々の安心できる場所になってほしいと願っています。

〇中学生は来週の期末試験に向けて、体育館で勉強もしました。たださほど寒くなく助かりましたが、広い体育館で寝るのは、慣れないと難しいと感じました。

須藤昌英

 

11月16日(土)花鉢配付ボランティア活動&避難所開設体験

〇本日、富勢地域ふるさと協議会及び各町会・自治会の皆さまとボランティア生徒70名が一緒に、これまで育ててきたビオラの花鉢をお手紙と一緒にご高齢の方のお宅に伺って、配付してきました。

〇受け取っていただいたご高齢の方々からは、中学生が届けてくれたことに、感謝の言葉がありました。中には、「孫が富勢中にお世話になっています。」と話がありました。同じ地域に住んでいるからこその「こぼれ話」です。

〇生徒は大人になるにつれて徐々に人間関係を広げていきますが、彼らにとって親や教師は「縦の関係」、兄弟姉妹や雄人は「横の関係」なのに対し、地域の方等は「斜めの関係」だとよく言われます。「縦でも横でもない斜め」であることで、気軽にしかもあたたかく見守ってくれる存在であることが、彼らの心理状態を安定させます。

〇さらに「有難う」「頑張ってね」と声をかけてもらうことで、「自分も役にたっている」「良いことをすると気持ちいいな」と、自分の存在を見つめなおしたり自己の有用感を高めたりできます。

〇11月としては暖かく小春日和で、参加した生徒たちも「最初は緊張しましたが、あたたかく迎えていただき、良い経験ができました」と感想を言っていました。これからこの地域を支えてくれる生徒たちに、地域への愛着心が芽生えてくれると、このボランティア活動の目的にも沿ったことになります。

 

須藤昌英

11月15日(金)秋の収穫

〇一昨日は、柏市制施行70周年を記念して、市内小中学校及び公立保育園にて柏市産の食材を使用した特別給食でした。メンチカツやかぶのすり流し汁、ヒジキと彩野菜の和え物は、どれも美味しく、まだまだ柏市は農業が盛んだということを実感しました。

〇昨日は、校内の畑で栽培しているカブとサツマイモの収穫をあすなろ学級の1年生が行いました。特に9月に畑を耕し、種をまいてもう収穫できるのですから、かぶの成長はすごいものです。

〇かぶは、一般的には肥大した根の部分を食用としますが、葉にも栄養素が多く含まれています。また、春の七草の「すずな」はかぶのことです。かぶの原産地は、アフガニスタンあたりか地中海沿岸の南ヨーロッパを加えた地域とされています。ヨーロッパでは紀元前から栽培され、日本には弥生時代に大陸から伝わったと言われています。初めて知りました。

〇サツマイモの原産地は中央アメリカで,15世紀末頃スペイン・ポルトガルに伝わり,さらに東南アジア,中国,琉球へと伝わったと推定されています。 日本への伝来ルートの主流は沖縄(琉球)からと考えられているそうです。サツマは薩摩(鹿児島県地方)のことですので、こちらは何となく知っていた気がします。

〇昨晩は獲れたてのかぶ(白い実と緑の葉)の味噌汁を自宅で食べました。意外なことに実よりも葉のほうがシャキシャキして美味しかったです。

〇また本校の中庭には、ゆずの木があります。こちらは果実ですので、木から上手に用務員さんが収穫してくれました。ゆずは独特の香りと、果皮の黄色が鮮やかです。数個いただきましたが、それだけで帰りの車内は良い香りにつつまれました。この特徴を生かして、昔からお吸い物などに広く利用されています。

〇ゆずの故郷は、中国の揚子江上流が原産といわれています。日本には唐の時代に北京地方から朝鮮半島を経て渡来したようで、日本にも古くから山口・徳島県に野生のゆずがあります。奈良時代にはすでに、薬用や食酢としての利用を目的として、栽培されていたことが記録に残っています。

〇特筆すべき点は、ゆずは種子をまいてから結実するまで、長期間を要するため、俗に「桃栗3年、柿8年、柚は9年で成りかかり、梨の大馬鹿18年」といわれています。9年間は人間でいえば丁度小中学校合わせての義務教育期間と同じですので、3年生で希望者する生徒には受験勉強の励み(香りを楽しんで気分転換)になるように、特別に分けてあげようかと思いました。

須藤昌英

 

11月14日(木)「リフレーミング」の訓練

〇リフレーミングという言葉は、「認識の枠(フレーム:frame)を改める(re)」ことを意味します。リフレーミングとは、物事を別の角度から解釈し直すことで、簡単に言えば、一つの視点ではなく、いろいろな角度からの見方をすることにより、嫌なことや苦手なことをポジティブ変換する「思考テクニック」です。

〇よく使われる例えとして、目の前に水の半分入ったコップがあったとして、これを「な~んだ半分しかない ⤵」と思うか、それとも「よしまだ半分もある ⤴」と思うか。水の量という事実を変えることはできなくても、その事実をどう解釈するかで、感じ方は大きく変わります。これはだれもが日常生活で経験すみだと思います。

〇リフレーミングには、いくつかの効果が期待できます。モチベーションアップや自分に自信がつく、ものごとへの苦手意識が弱まったり人間関係が良くなったりすることが心理学の面から報告されています。3年生の校長面接では何人かの生徒に、「確かに苦手なことに取り組むのは気がひけますが、『何でも初めから完璧にできる人はいない!』『自分の可能性をのばす絶好のチャンスかも!』ととらえると、『まずはやってみよう!』となりますね。」とアドバイスしました。

〇リフレーミングは主に2種類あり、一つは「今の自分の状況・事実」をリフレーミングしてみること。例えば、病気でしばらく休んでいなければならない時、最初は「あれもやらないと、これも遅れてしまう」ばかり思っていまがちですが、「休んでいる間、自分自身や仕事についてゆっくり考えられる」と気持ちが変わると、「休んでいる間にできることをやろう」と思いなおせます。

〇また「自分の性格や行動の傾向」をリフレーミングすることも多いです。例えば、いつもいろいろなことに「心配性な人」も、「想像力があり慎重にものごとをすすめることができる」と切り換えると、また違ってきます。ただこれは、なかなか自分では気が付きにくく、他人からのアドバイスが大きなポイントをしめると思います。

〇ネットなどで調べると、「リフレーミング辞典」というものがあり、私も時々参考になるので、眺めています。冒頭に書きましたが、これは思考テクニックですので、ある意味訓練する必要があります。最初は「こんな言い換えは不自然で違和感がある」と思いがちですが、そういう感情を抑えて、無理やりでも受け入れてしまうことが大切です。

〇先日の3年生は、「自分の短所は『面倒くさがり』のところです」と言っていたので、私からは「それはおおらかなことまたは細かいことにこだわらないという良い面とも言えますね」と返しました。私も「少し強引すぎたかな?」と思いましたし、本人はキョトンとしていました。ただこちらも訓練して何とか相手に前向きなってほしいとの気持ちがありますし、本人も後から少しでもその言葉が頭に残って、「そういう見方もあるかな?」のように受けて止めくれるといいのですが・・・と願っています。

須藤昌英

【リフレーミング辞典の一部】

11月13日(水)自分の身体と向き合うこと

〇2年前の11月に自宅で発熱、その晩にコロナの陽性が発覚、次の日から7日間自宅で療養するという経験をしました。当初は家族の中で最初に、同居している母が喉の痛みを訴え、咳をし始めたので、家の中で生活する動線をわけるなどの警戒をしていました。

〇ところがその母はその後発熱はせず、回復に向かいました。それと入れ替わるように、私も含めた家族が喉に違和感を覚え、咳が始まったのちに発熱しました。その夜は発熱外来は受け付けしてもらえず、薬局で抗原検査キッドを購入して、すぐに「陽性」が判明しました。

〇コロナそのものに対する薬は手に入りませんでしたので、喉、咳、鼻水への処方箋を服用しつつ、ひたすら自宅に引きこもりました。幸い食欲はありましたので、お粥を中心とした食事をとり、徐々に身体に力がみなぎってくる感覚を今でも覚えています。

〇この夏あたりから少しずつ中学生にもマイコプラズマ感染症が流行しているという話を聞いています。少し調べると、風邪のような咳・鼻汁から始まり、咳や発熱が長く続くのが特徴で、特にマイコプラズマによる肺炎になると、頑固な咳をともない、一部の人は重症化したりするようです。また、一度かかっても何度でもかかりうる感染症のようです。

〇専門家は「命を奪うほどの肺炎ではないので、過度に恐れる必要はないが、子どもがごはんを食べず、ぐったりしている状況は普通ではないので、病院を受診して水分を補給したり、栄養をとったりすることが必要になってくる」と話しています。

〇またその上で、感染対策について、「コロナ禍のころを思い出してもらい、飛まつ感染を予防するためには、マスクを着けることやこまめに手を洗うことがいい方法だと思う」とアドバイスがあります。

〇肺炎となると呼吸がしにくくなるのはよく聞きますが、私の場合に2年前のコロナ感染で、呼吸の困難さを感じました。健康な時には気づきにくいですが、生きる上でいかに「呼吸」が大切かということを考えさせられました。

〇高熱や咳が出ているときも、無意識に呼吸はしていますが、そういうときこそ少し呼吸に意識を向けて、まずはゆっくりと身体中の息を吐き出しますと、その反動で新しい空気が自然と入ってきます。呼吸が深くなると精神的な不安も少し和らぎます。

〇よく病院の診察時などでも、まずは「吸って」、次に「吐いて」の順で医師から指示されますが、本当は順番が逆で、しっかりと「吐く」と、自然と「吸える」のか?と思いました。咳止めなどの処方箋も確かに有効ですが、局所的ではなく、身体全体をケアし、本来もっている「自然治癒力」を最大限に引き出すには、呼吸を整えることが一番簡単にできることだ!と感じました。

〇コロナの時には、若者が後遺症に悩んでいるという話をよく聞きました。一定の期間が過ぎても、嗅覚・味覚障害や強い倦怠感が多く、中には発熱や呼吸困難など日常生活に支障をきたしているという相談事例も多かったようです。今回のマイコプラズマ感染症に関しての後遺症も心配になります。

〇風邪やインフルエンザ等に感染した際には、発熱や咳などの症状が出ますが、それらはしっかりと体を守ろうとしている「身体からのサイン」だそうです。発熱などの原因のほとんどは、身体が病原体と戦い、体を守るための生体防御反応なのです。そのサインに素直に耳を傾け、休養することが何よりも大切であり、たとえ受験生と言えども決して無理をしないようにしてほしいです。

須藤昌英

11月12日(火)「ゲーム」との付き合い方

〇校長面接などで、3年生に「受験勉強をしている時の気分転換の方法は?」と尋ねると、8~9割の生徒が「好きなゲームをしています」と答えます。そこでさらに「気分転換のつもりが、そのままハマってしまうことは?」と続けると、大抵の生徒が苦笑いし、「それが悩みです・・」のように打ち明けてくれます。

〇過去に担任していた生徒から、同じようなゲームに関する質問を投げかけられたことがあります。「どうしたらゲームをやめられますか?」と。私は答えました。「方法はただ一つしかないよ。それはそのゲームの攻略法を徹底的に友達から教わってからやってごらん。わかると思うけど、そんなのはつまらなくてすぐに止めてしまうでしょ」。

〇少し逆説的な言い方ですが、そのように何もかも教えてしまっては、人はまったく面白みを感じないのです。どうしてかと言うと、ゲームの中で「自分で選択する機会」が前もって奪われ、冒険心や挑戦心などのやる気のもとがなくなってしまうのです。

〇私が「ゲーム」と聞けば、今から40年前以上に流行したインベーダーゲームを思い出します。当時はまだ自宅で行うゲーム(ファミコンなど)は販売されていませんでしたので、高校生だった私はゲームセンターで夢中になりかけていました。ただ段々とゲーム以外のことが忙しくなりゲームセンターに行くのも億劫になったので、お小遣いを使い果たすようなところまではいきませんでした。

〇しかし今は自宅でゲームが当たり前ですので、生徒たちが自らの制御力でゲームをする時間をコントロールしなければならない状況です。自宅でできる便利さはありますが、逆にゲームとの程よい距離を保つことが難しくなっています。先ほども書きましたが、生徒がゲームの中で自分が主役となり、「主体性」をもって課題に挑戦していくことは、人間の本質にあったゲームのプラス面であり、否定されるべきではありません。

〇ただ先日、You-tubeの対談で、東大名誉教授の姜尚中(カン・サンジュン)氏が指摘していたことも気になります。姜氏は「人生(実社会)はゲームではない」とし、「(要約)現代は政治、経済、人間関係などのすべてが、ゲーム理論に基づいて処理されている。ありとあらゆる領域から集めた情報をアナリストが分析したりそこからシュミレーションしたりして、現場の様子はモニターでみるだけ。そこに強烈な違和感をもつ。しかし実際に目の間で起きていることはもっと複雑で、ゲーム理論だけでは到底説明しきれない」と鋭く述べています。

〇これを見ながら深く考えさせられました。ゲームの良さは認めつつ、そこから実際の生活にいかに戻ってくるか。冒頭の受験生の悩みは、決して子どもの問題ではなく、我々大人も直面している問題だと思います。

須藤昌英

 

11月11日(月)富勢地区文化展&三学年期末テスト

〇先週末の土・日曜日は、富勢地区ふるさと協議会主催の文化祭の中の展覧会が、布施近隣センターで行われ、本校の美術部員が書いた「富勢中の風景画」を出品しました。

〇ここには、富勢小、富勢東小、富勢西小、県立柏高校からの作品もあり、児童生徒の感性の豊かさを感じ取ることができました。絵の構図や色使いは、大人では描けない自由さがあり、素晴らしいと思いました。

〇私もそうでしたが、中学生くらいになると、「見たままを忠実に描くことを基本にした絵画(写実絵画)」を描きたくなるようです。 ただその作風は生徒個人によってさまざまであり、だからこそ同じような情景を描いても、表現されたものはそれぞれ全く違うものになります。

〇先日も放課後の校庭で、一人の女子生徒が本校の正面玄関あたりを描いていましたので、「出来栄えはどうですか?」と声をかけたところ、うれしそうに「まあまあです」と答えていました。

〇どの生徒も何度も何度もスケッチして彩色するという作業を繰り返していました。彼らの描く絵には、集中して一つの作品に取り組んだ「時間の痕跡」が感じられます。この時間の積み重ねこそ大切であり、描かれるものにはその瞬間しかない美しさと儚さがあり、その経験が作者にとって次の作品のベースになるのだとかんじます。

 

〇今日と明日は、三年生のみ2学期の期末テストを行います。今日は、社会、国語、英語の3教科、明日は数学と理科の2教科です。

〇「なぜ3学期の期末テスト三学年だけはやく行うのか?」は2つの理由があります。一つ目は、高校入試の際に中学校が高等学校へ提出する「調査書(生徒の3年間の生活及び学習の記録)」を作成するために、3学年の学習評定を確定することが必要になります。一及び二学年の学習評定はすでに確定していますが、三学年は1学期及び2学期の学習の様子を総合的に勘案します。そしてまず、そのもとになる「保護者連絡票」を作成し、本人及び保護者に内容を確認してもらった上で、正式な「調査書」を年開けまでに作成します。

〇もう一つの理由は、特に私立高校の場合、その学校独自の「推薦制度(第一志望または第二志望以下もある)」があり、その推薦制度の条件に志望した生徒の成績が見合っているかを、来月から中学校の教員が高等学校へ出向き、「入試相談」を行います。この際に、先ほどと同様に、一及び二学年の成績に加え、三学年の1学期及び2学期の評定が必要になってきます。もしこの「入試相談」」で、高等学校側がその生徒が基準を満たしていることを認めれば、その生徒は願書などを出す時に、「〇〇推薦」を利用した出願が認められます。一番早い出願は、12月から「茨城県私立高等学校」となり、その後、「千葉県」「東京都」「埼玉県」と続きます。

〇三年生の皆さんには、これまで努力した成果があらわれることを願っています。

須藤昌英

 

11月8日(金)「個性は可能性」について

〇3年生との校長面接では入試本番を想定し、生徒は制服を着て校長室に入室してきます。彼らは入学してからはフォーマルな服装として、制服を着ることに慣れていますので、よく似合っています。生徒たちとは着ている制服の話をする時間はほとんどありませんが、ふと思い出したことがありました。

〇今から20数年年前くらいに学級担任をしていたころ、生徒たちと当時の学校の制服について、何度か話し合いしたことがありました。生徒たちは、「決められた制服や頭髪の基準、またそれらの身だしなみなどの約束があるのは窮屈な気がする」と言っていました。

〇もちろん私自身が中学生の頃も同じでしたが、その時の柏中は全校生徒が二千人いて、「中学校の時だけの決まりだし、みんな同じだから・・」と感じるくらいで、当時の生徒のように「自由がない、窮屈」とまでは思いませんでした。

〇そこで当時、あるインタビュー記事で映画監督の大林宣彦さんが、「制服」について学生に語っている文を見つけ、学級通信に掲載しました。引用します。「確かに制服はみんな同じで変わらないかもしれないけれど、その人が読んだ本、聴いた音楽などによって、まずその人の目の輝きや語る言葉が変わってきます。そうするとその同じ制服を着ていても、『個性』が出てくるんです。制服はファッションではなく、【心のあらわれ】です。同じものを着て窮屈で嫌と感じるとすれば、君の言葉を磨きなさい。君の目の輝きを磨きなさい。そうすると君の着ている制服は、君だけに似合う『個性』になるよ、と言いたいですね」

〇映画監督は一つのテーマをいかに表現するかをいつも考えてそれを仕事としており、その「表現のプロ」が言っているので、言葉に重みがありました。私は学級通信に、自分の解釈として「つまり表面ばかりに目を奪われて本質を磨くことを忘れてはいけないということを教えてくれていると思います」と添えました。もちろん生徒達はすぐに納得していたわけではありませんが、生徒達の疑問に寄り添いつつで、教員として一緒に学んでいたことは忘れることはありません。

〇また大林さんはこうも言っていました。「制服というのは対話の手段なんです。人間どうしは対話をすることでお互いを理解しようとします。対話とはお互いの違いを知る作業で、君と僕はこれだけ考え方が違うんだね。だからお互いに価値がある。これが共存共栄の意味だと知るわけです。違いを知るためには、一つの同じ土壌にいなければダメなんです。そのルールが制服だと思えば、制服を着せられたからみんな同じだと思うのではなく、同じ制服を着ているけれど、僕はこういう言葉を語るし、君はこういう言葉を語る、そうするとその制服が違って見えるということからも、個性を鍛えることができると思いますね」

〇後半の言葉は、当時大人であった私も深くうなずくものでした。同じ制服を着て面接をしていても、それぞれの生徒の個性はよくわかります。最近の私の結論は、「個性=可能性」ですので、逆に制服だけで個性(可能性)が無くなるなどは、空論に過ぎないと感じています。

〇来年度からは柏市標準服(ブレザータイプ)も本格的に導入されます。生徒や保護者にとっては、現行の制服か新しい制服かの選択肢が増えます。毎朝本校正門前を通学する幾人からの富勢小の6年生に、「制服は決まりましたか?」と尋ねると、大半が新制服と答えていましたが、中にはあえて今の制服(学ラン、セーラー服)を考えている児童もいました。

〇今の中学生は、制服についてどう思っているのか。何かの機会で、聞いてみたい気がしました。

須藤昌英

【柏市標準服:上着ブレザー&スラックス、スカート】

11月7日(木)「いじめ防止サミットKashiwa」

〇昨日、柏市内の中学校21校の代表生徒が2名ずつ集まり、「R6いじめ防止サミットKashiwa」がオンラインで開かれました。テーマは「SNSといじめ」で、NPO法人企業教育研究会代表の市野敬介さんがファシリテーターとなって、参加者がグループで話し合う形式の学習でした。

〇本校からは、生徒会役員の中村雅さん(2年3組)と佐藤莉杏さん(2年5組)さんが、富勢中を代表して参加しました。二人とも積極的に自分の意見を発表したり、他の中学校の生徒の話を真剣に聞いたりしていました。

〇サミットでは、二つの課題について話し合いました。一つ目は、アメリカのフロリダ州などでは、子どもがSNS上でネットいじめなどのやりたい放題が問題になり、その後子どもがSNSを利用することを規制する法律ができましたが、「もし柏市の条例で中学生以下のSNS使用禁止が決まった場合に、あなたは賛成しますか?反対しますか?」でした。

〇参加生徒は4人グループに分かれて、それぞれ自分の意見を根拠を交えて発表しあいました。いろいろな意見が出ましたが、「この時代に情報収集するのにSNSは欠かせない」「いじめ防止の意識を繰り返し高めていく必要がある」などの本質をついた理由がありました。

〇次に「このような禁止や制限を必要としないためには、学校でどんな取り組みが出来ますか?」の課題で、これもいじめ防止のポスターや呼びかけの便りを作成する、いじめについてだれでも相談できる場所をつくるなどの建設的な意見がありました。

〇大人の私でも考えさせられる内容でした。普段から仲が良いからといっても、一つのメールなどで相手を傷つけ、人間関係がこじれてしまうことはよくあります。むしろ正式にネットモラルの教育を受けていない我々大人の方が、生徒達よりもよほど気をつけていかなければならないと感じます。

〇このサミットを教材として、12月23日の終業式に、中村さんと佐藤さんには、全校生徒に向けて「いじめやSNSの使い方」について考える授業をしてもらうことを計画しています。事前に生徒や保護者にもアンケートをとるなどして、本校の実態に即した内容にリメイクします。ご期待ください。

須藤昌英

【積極的に参加し、メモを取りながら全校生徒向けの授業について考える中村さんと佐藤さん】

11月6日(水)「交通安全誓いの碑」

〇正門から入ってすぐ右脇に、「交通安全誓いの碑:交通違反をしない、させない、許さない」と書かれた石碑があります。これは今から38年前の昭和61年5月の日曜日、集団で部活動の練習試合の帰り(歩道を自転車で走行中)、猛スピードの車がその列に突っ込み、当時の本校女子生徒2名が命を落としたという大きな事故があり、「そのような交通事故が二度とないように」と願いを込めて当時の生徒・教職員・PTAが建立したものです。2年前に八街市で下校途中の小学生の列に、飲酒運転のトラックが突っ込み、2名の死傷者と3名の負傷者が出たことは記憶に新しいです。

〇私は当時大学4年生で、間もなく教員採用試験を受けようとしていました。住んでいる柏市内でそのような悲惨な事故があったことはテレビなどでも大きく報道されましたので、今でも記憶にはっきりと残っています。

〇その翌年4月に柏市の中学校教員となり、その事故現場がちょうど通勤途中だったので、行き帰りにその場所を通るたび、心の中でご冥福を祈りつつ、教員として生徒の命を預かる重い責任を実感していました。

〇その女子生徒さんたちもご存命であれば、今50歳台前半になっています。一昨年4月に本校に着任した際も、その38年前の事故については前校長や前PTA会長さんからも引継ぎとして説明を受けています。

〇500名以上の生徒の命を預かっている今、同じような事故が起きないように日々努めていかなければならないと、亡くなられた方への誓いとしてあらためて肝に銘じました。

〇先日は、柏市教育委員会を通じてから千葉県交通安全対策推進委員会より「自転車乗車用ヘルメット着用率向上に向けた取組について(通知)」が届きました。内容は以下の通りです。

1 自転車乗車用ヘルメットの着用について

令和5年4月より、自転車乗車用ヘルメットの着用は努力義務となりました。通学時の自転車利用に限らず、日常利用でもヘルメットの着用に努めていただきますよう御協力をお願いします。

【道路交通法第63条の11第1項】

自転車の運転者は,乗車用ヘルメットをかぶるよう努めなければならない。

2 通学時の安全運転について

自転車で通学の際に転倒し負傷する事案が発生しています。また、ヘルメットを着用して頭部は保護できたものの他の部位を負傷する事案も発生しており、安全運転についてより一層注意いただきますようお願いします。

〇この3年間正門脇で、ふるさと協議会と連携して16日に地域の御年輩の方々に配付する「ビオラ花鉢」を育成中です。その花鉢を生徒たちが「交通安全誓いの碑」の近くで育てているのも、何らかの供養になれば・・と感じています。

須藤昌英

11月5日(火)ちょっと良い話と想像力について

〇この三連休は、土曜日は秋雨前線で雨でしたが、文化の日と振替休日は秋晴れで気持ちの良い日でした。運動しようと自転車に数時間乗っても大汗をかくこともなく、ベンチで本を読んでいても紅葉しかけの木々や鳥の声で心が安らぎます。

〇ようやく暑さから逃れ、このような気候が長く続けばよい・・といつも思いますが、なかなかそういうわけにはいきません。気温や湿度が下がると、ウイルスの活動が活発化し、感染症の心配が出てきます。警戒を始めていきます。

〇先日学区にお住いの方から、うれしい連絡が入りました。道路で落とし物(財布)をして気付いて警察に連絡すると、近隣の交番に届いていたそうで、届けた人を尋ねるとどうやら富勢中の生徒であるとのことでした。

〇その生徒は交番へ名前や連絡先を知らせなかった?のでしょうか。結局直接お礼を言うことが出来なかったので、学校に連絡してくださったようです。職員の打ち合わせで周知し、クラスで伝えたいと思います。

〇こういう話を聞くと、最近よく報道されている通称「闇バイト」にかかわってしまった若者たちと比べてしまいます。もちろん一概には比べられませんが、手元のスマートフォンですべて(金銭欲しさも含め)を解決しようと、ネットサーフィンして見つけたサイトへアクセスし、短時間で高収入という「効率」に目がくらんでしまったのかもしれません。

〇そもそもこの犯罪を「闇バイト」などと呼んでしまうこと、これこそが今の世の中の負の部分だと思います。スマートフォンの情報は間違ったものや法律に触れることなどが多く含まれていること、実行役や見張り役などの細かい役割分担があるので、もし捕まっても一人の犯罪よりは罪は軽いだろう?などの思い込み・・。

〇一番の問題は「想像力」の欠如です。先ほどの落とし物を交番に届けた本校生徒は、「落とした人はどれだけ困っているだろうか?」とその人の気持ちを想像したからこそ行動できたのだと思います。一方で、犯罪に手を貸してしまった若者たちは、「自分さえよければ・・」と被害者の気持ちなどを考えることもなく、短絡的であると言わざるを得ません。

〇逮捕された若者たちばかりを責めるのではなく、我々大人がつくってきたこの世界には、多くの矛盾や誤魔化しがはびこっており、その陰で苦しんでいる人がいることを再認識する必要があると思います。いくら経済的に豊かになっても、弱い立場にある人たちを切り捨てて成り立っている社会に、本当の安らぎはありません。天高い秋の空をみんなが楽しめるような世の中にならなければならないと感じます。

須藤昌英

 

10月31日(木)合唱コンクール前日

〇明日の合唱コンクールに向けて、今日は最後の練習を各クラスで行います。発表も頑張ってほしいですが、特に生徒たちは柏市民文化会館へ朝、直接徒歩で集合し、終了次第現地で解散ですので、行き帰りの交通安全にも気をつけてほしいです。職員も途中のポイント地点で安全指導を行います。

〇柏市民文化会館の最寄りの駅は北柏駅ですので、そこまで電車やバスを利用することは許可しています。また自転車通学の生徒は、学校に自転車を置いてから徒歩で行くように指導しています。

〇終了時刻が12:15ですので、例年の様子をみていると、行きよりも帰りの方が一斉に帰りはじめお腹もすいているので、小さなトラブルが生じています。

〇とにかく外部の施設を借用しての行事ですので、生徒たちにとっては校内で行うよりも普段と勝手が違うことから臨機応変に行動することや一般的なマナーなどを守るなどの意識をもつ機会になります。

〇地域や保護者の方々には学年毎に入れ替えで鑑賞していただきますが、外部施設とあって職員も校内で行う場合よりもあちこちに役割に応じて配置してありますので、ゆっくりとご案内したりお話ししたりする余裕がありません。ご了承いただき、鑑賞席ではお互いに譲り合ってお楽しみください。

〇私は以前から生徒たちに、「人の身体は最高の楽器」ということを言っています。楽器というとピアノやギターなどを連想しますが、最も原始的だけれども誰でももっているのが、声を出す役割を担っている声帯で、そこから発する音を身体全体で大きく響かせたのが合唱です。

〇1年生は初めてのステージで緊張しますが、スポットライトを浴びて歌えることを楽しんでほしいと思います。2・3年生はこれまでの経験をいかし、堂々と歌い上げてくれることでしょう。もちろん受賞するかしないかは気になるでしょうが、それよりもやり切った充実感を味わってほしいです。

須藤昌英

 

10月30日(水)「中学校教育に望むこと」

〇全日本中学校会が定期発行する冊子に、前WBC日本代表監督で、メジャーリーグに行く前の大谷翔平選手を育てた栗山秀樹氏にインタビューした記事がありました。一部を紹介します。
〇質問
今、日本の中学生は、他国の若者に比べて、「自己有用感」「自己肯定感」が低いと言われていますが、監督の目には今の中学生の姿がどのように映っているのでしょうか?
〇栗山監督
どこに生まれるかというのは自分で選べるわけではありません。例えば人に生まれるかもしれないし、虫に生まれるかもしれないことも含めて、神様が決めているという中で、ほかの民族がどうのこうのというのは一切関係なくて、そこに対しては中学生だけでなくて日本全体が言われていますよね。
日本人が優秀だと言われた時代があったものが、今これだけ経済的にも政治的にも遅れをとっている。ただ、先人の皆さんの功績とかやってきたことを見ると、僕はこの国に生まれて本当に良かったと思っています。そのことをWBCで表現したかったというのは正直あります。
日本が世界一になるという意味は、「さあ行くぞ、俺は世界をとってやる」と子ども心に感じてもらうためではないかと思っていましたし、そういう意味では、自己肯定感が低いという中学生たちの感じをみていて、ただ単純に「ぜいたく病なんだろうな」と思っているだけです。
昔は食べるのも大変だった。何もしなければ食べられないわけですよ。ところが今は、大人になっても守ってくれる人たちがいっぱいいるので、それはなかなか難しいだろうなと思っているところがある。変な言い方ですけど、それがダメとかそういうことではなくて、絶対能力はあるし頑張ったらできるところもある。スポーツの世界にいて何が人の分岐点なのかというと、能力じゃないですね。「できないよな」と思った瞬間にできないんです、すべてが。そうではなくて、これをやると決めてやり切った人がそこにいくというだけの話です。それは時間がかかるかもしれないですけど、そういうことなんだと十年間の監督生活で思ったんです。これは体験です。
(途中略)
要するにの能力じゃない、本当に自分がこうするんだという確固たる志、意思というんですかね、それが何らかのタイミングで得られれば、今の中学生たちも勝手に能力が伸びていくということなのかなと、そこは信じています。
そういう子どもたちが、今はそうみえるけれども、必ずそういうものをもっている。そこにどうやって火をつけるか、どうやって灯をともしてあげたらいいのか。僕は良く、「やる気の志には我々は火をつけられない」と言っています。本人しか火をつけられることはできないので、我々はそのお手伝いしかできないと思うんですよね。今その自己肯定感や自己有用感が育たない何かの要因があるというだけなのかなという感じで僕は捉えています。
〇栗山氏は国立の教員養成大学の出身で、教員免許ももっていた方なので、親近感があります。プロ野球選手という大人を育てる仕事ですが、基本的な考えは我々教員と同じだと感じました。

 須藤昌英

10月29日(火)長文を諦める(新聞を読むことで身につく力)

〇昨日の朝刊は、衆議院選挙の記事が大きく取り上げられていました。テレビでも同様に報道されていましたが、細かい情報などはテレビの方が詳細をつかめるので良いですが、全体の結果を大まかに把握したい時には、新聞の方がテレビなどよりも圧倒的にわかりやすいと感じます。

〇やはりそれは記者やデスクなどにより、限られた時数でいかに事実を伝えるかの視点で校正が繰り返されているからでしょう。繰り返しますが、新聞の最大の利点は各面の見出しをサッと見渡すだけでも、社会で起こっていることが大まかにつかめるという点です。

〇毎年行われる文科省の全国学力テストの分析から、本校を含む全国の生徒の国語の長文読解の正解率は低下しており、長い文をみるとすぐに「諦める生徒」も多いことがわかっています。これはSNSの影響が大きく、短文や絵文字でのやりとりが広がり、生徒が日ごろから活字と向き合う環境を整える必要があると結論づけています。

〇3年生との校長面接をしていても、国語に苦手意識をもつ生徒のほぼ9割が、問題文が長文であることでそれを読み切れていない(読みはじめても途中でやめてしまう)ことがわかります。長文といってもさすがに問題として掲載するので、400~600字(原稿用紙1枚半程度)が多いので、ゆっくり読んでも2分あれば読み切れます。

〇現行の学習指導要領でも、「新聞を活用した学習」が明記され、国語の授業の一部では、新聞の記事を使った教材も使用しています。本校では全国紙(朝日新聞)と地方紙(千葉日報)の朝刊に加え、中高生新聞(読売新聞&小学館)を定期購読しています。全国紙と中高生新聞は、図書室でいつでも生徒は閲覧できます。

〇特に中高生新聞は、週に一度の発行ではありますが、今の社会問題を写真や図を入れたり、難しい用語をできるだけ使わずに説明したりと、大人の私が読んでも「なるほど」を思うときがあります。例えば先週の中高生新聞の第一~三面は、「ノーモア・ヒバクシャ 次世代へ」と銘打ち、ノーベル平和賞に日本被団協が選ばれたことを特集しています。これを読むと、「我々大人でもわかっているつもりで知らないことが多いなあ」とつくづく感じます。

〇また新聞は読めば読むほど、世の中や人間は複雑で簡単には理解できないことに気づきます。しかしそのモヤモヤした気持ちが重要ではないでしょうか?新聞を読むという一見非効率に見える時間も、少しずつ自分の引き出しを増やしじっくりと深く考えてみる機会になると思います。

〇このように「新聞を読む力」を育てることは、単に長文に馴染むだけではなく、社会の出来事に感心を持ち、生徒の情操や課題解決力を伸ばしつつ、最後は「自分ならどうするか?」という主体的な生徒に導くことにもなります。

〇「長文を諦める」生徒への対策として、授業中だけでなくあらゆる場面で、書かれていることを理解するために、注目する内容を決めて要約する練習を積みかねていきます。

須藤昌英

【10月20日付 朝日中高生新聞】

 

 

10月28日(月)柏市技術・家庭科作品展&音楽発表会

〇技術科と家庭科の授業で作成した中で、優秀な作品を出品しました。週末のさわやかちば県民プラザの回廊ギャラリーには、他校の素晴らしい作品も展示されていました。

〇本校の出品者です。

技術科作品

1年 コーナーラック 椎橋美月

   棚付き本立て 塩川隼人 廣瀬有里桜 宮原結菜 

   キッチンペーパーホルダ 東 健斗

3年 ウッディラジオ 壁下翔志郎 松本小暖

家庭科作品

1年 緑のコーヒー(刺し子)  松本悠希

   刺し子 近村 蓮 村上収都

2年 ハーフパンツ 中村 雅

   Mabon 千葉翔平

3年 いつもの 石黒音羽

   これ、なぁに? 井野流楓

   ねずみちゃんとえのぐさんたち 栗林瑞綺

   これ な~んだ? 向井晴香

   なんでないてるの? 平塚美笑

〇26日(土)には、富勢ふるさと協議会主催の音楽発表会が富勢小体育館で行われ、本校の吹奏楽部がトップバッターで出演しました。

〇次の富勢小の児童による演奏も、日頃の練習の成果を発揮し、堂々とした演奏でした。来年に入学してくる児童もいますので、4月からは一緒に演奏できることでしょう。

〇最後は、市内で活躍するチアリーダーチームの「PRIDE DANCE CITY」によるダンスとその間に、児童生徒と一緒に踊るダンス教室がありました。身体を動かして、楽しそうでした。

〇地域の行事で、児童生徒の活躍をみてもらうことは、大きな意義があると思います。

須藤昌英

 

10月25日(金)「やればできる」と「できるからやる」

〇教員として38年間、目の前の生徒の可能性を引き出し伸ばすことを最大の目標として取り組んできましたが、いつも迷うのは、「やればできる」と「できるからやる」の2つのどちらが正しいか?です。「鶏が先か、卵が先か」みたいな話ですが、自分としては最大の課題です。

〇「やればできる」は、昔から言われている「努力を美徳として、楽な方を選ぶことを嫌う」が根底にあります。コスパの面から考えると、苦労せず楽に成果が得られるのであれば、最適最良です。

〇しかしその一方で、教育的側面からは、努力を通じてスキルや知識を習得することで定着が強固になるという従来の考えにも、妥当性はあると思いますし、昭和から平成へと教育の主流はこの「努力の継続」でした。

〇前にオレンジの服が印象的だった芸人さんがテレビなどで、そのポジティブな性格を前面に出し「やればできる!」というフレーズを連呼していたことを覚えています。確かに明るい笑顔で言われると、その気になってきます。

〇その芸人さんは、「僕の『やればできる』っていうのは『やれば成功する』ではなくて『やれば成長できる』よねっていう思いを込めています」と説明していました。それを聞いて私もそれにはまったく同感しました。

〇若い時に担任をしている時も、「やろうと思わないから出来ないんだよ」みたいなことをよくクラスの生徒に言っていた記憶があります。叱咤激励のつもりでしたが、言われた生徒はどう思っていたのだろう?と今さらに思います。

〇しかし最近は少し違ってきました。むしろ人は「できるからやる」という見方の方も、正しいのではないかと思っています。努力し挑戦すること(やればできる)によって生徒たちは日々成長していますが、その前提として可能性という「成長の種子」を生まれつき自分の中にすでにもっていて、その種子を開花させている(できるからやる)に過ぎないのではないでしょうか?

〇「やればできる」の陥りやすい点は、今出来ていることはあまり重視せずに、次はコレをするその次はコレをする・・と果てしない無限ループになりやすいことだと思います。精神的に疲労します。

〇一方で「できるからやる」については、失敗を極端に恐れるという今の若者の特徴がその意識を薄めていると感じます。人は誰でも失敗し、その失敗を次にいかして前へ進んでいくのであり、一つの失敗で「すべてがダメ」と自分を否定してしまうことがとてももったいないと生徒たちを見て思います。

〇その原因の一つは、大人(保護者や教員など)が生徒たちに今取り組んでいることの結果を性急に求めすぎることがあると思います。私も含めて「信じて待つ」という大人の姿勢が正直足りないと思います。

〇「失敗を成功で上書きする」という言葉があります。「失敗を失敗のまま終わりにせず、それを小さな成功つなげる」ということを、生徒たちには折に触れて伝えていきたいと思います。

〇最後に昔、ナイキというスポーツメーカーのCMに、マイケルジョーダンというバスケットボールのスーパースターが出演していました。彼は私と同じ年齢ですので、バスケットボールに興味がなかった私もその存在感には注目していました。

〇その彼のCMの中でのセリフが今でも頭に残っています。紹介します。「キャリアで失敗したシュートは9000本。300試合に負けた。26回ウィニングショットを外してきた。今までミスしてきた。何度も何度も・・・。だから私は成功する」

〇今の生徒は彼のことは知らないかもしれませんが、みんなからスーパースターと言われている人でも、数知れない失敗を経験してきていることは伝えたいなと思います。

須藤昌英

 

 

 

 

10月24日(木)市内教職員の授業研修を行いました

〇昨日は午前中で生徒を下校させて、午後は田中中学校で、近隣の中学校の教職員が集まり、授業についての研修を行いました。

〇田中中は、本校と同じく創立78周年目で、柏市で最も古い中学校の一つです。ですから本校と同様に校舎も基本的には古く、使い込まれている感じがします。

〇しかし本校との違いは、その敷地内に新校舎を建設しており、大きなクレーン車が動いています。学区の田中小と田中北小は、柏たなか駅が近いことから児童数が急増し、どちらも千人前後います。

〇今後は田中中へその二校から毎年卒業生が入学してきますので、年々生徒数が増加し、数年後にはやはり全校生徒数が千人を超える勢いです。田中中の校長も、「校舎建設でも生徒の安全を守りつつ、着々と生徒数増加の準備をしている」と言っていました。

〇本校を含めた他の中学校の教員が田中中の授業を参観し、その後各教科に分かれて、授業のねらいや生徒たちの学びの様子について、話し合いをしました。

〇教職員にとって自分の学校だけでなく、今日のように他校の授業を題材に研修していくことが、明日からの自分の授業に役立つので、有意義な時間でした。

〇来月の28日には、2回目の授業参観(午前中1~4校時)がありますので、是非ご来校ください。

須藤昌英