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~『歴史アルバム かしわ』より~ 大室地区で行われている盆綱。 始まりは元禄12年だという。 東西に分かれて大綱を引き合い、その年の吉凶を占うという。
~『歴史アルバム かしわ』より~ かつて運河の堤防上には、両側に桜の大木が続いていて、 花見のころともなると、東京を始め各地から花見客で賑わった。
現四階建て校舎の前にあった旧木造校舎の取り壊し時の写真。 右は旧校舎正面玄関。 左の2本の樹木は現在のヒマラヤスギ。 その右に二宮尊徳像が建っていた。 二つの校舎の位置関係が確認できる貴重な写真である。
~『歴史アルバム かしわ』より~ 貸客両用の蒸気船である。 船内にはいすがあり、外の景色を眺めながらのたびは快適であった。 成田さん参拝に行くのにも野菜を東京へ出荷するのにも利用された。 前方は現野田線の鉄橋である。
~『歴史アルバム かしわ』より~ テレビもなく、映画だってなかなか見られなかった時代の子供たちにとって、 紙芝居は最高の楽しみであった。 紙芝居のおじさんが金を鳴らしながらやってくると、 子供たちが集まってくる。
~『歴史アルバム かしわ』より~ 講堂との位置関係がよくわかる。 一本松も頼りなさげに立っている。
~『わが母校』(昭和45年発行)より~ 現在正門脇に建つ二宮金次郎像は昭和13年11月17日に建立。 「かつて十余二にあった飛行場建設での勤労奉仕の報奨金をもって建てる」 とあり、台座には「勤労報国」と刻まれている。
~『歴史アルバム かしわ』より~ ラッシュ時でなければ閑散としていた。 左手には東武バスの待合所があり、 夕方は何本ものバスを待つ列ができたという。
~『わが母校』(昭和45年発行)より~ 現在の田中農協上空あたりからの写真。撮影年は不明。 旧田小学校校舎と中学校校舎が並び立つのがわかる。 1本松もはっきりと写っている。