R7_富勢中日記

3月13日(木)「文学(小説)は役に立たないというのは本当?」

〇24日の令和6年度修了式まで、登校日は今日も含めて7日となりました。今日は初夏のような陽気になるとの予報ですので、サクラの開花のニュースもそろそろ聞こえてきそうです。

〇この10年間ほどに文部科学省が大学教育の改革として、「付加価値の高い理工系人材の育成」をその重点としています。それにより多くの大学ではいわゆる文系学部(文学部、経済学部、歴史学部、心理学部など)の定員が減らされているのを報道で知りました。少し違和感を覚えます。

〇確かに以前から理工系学部の人気が高く、就職先もバラエティーに富んでいました。しかし大学は専門学校ではなく昔から「知の最高学府」と言われていますので、理工系だけでなくいろいろな文系の学部もあったほうが、「その国は本当に豊かだといえる」と私は感じています。

〇表題は特に文学部の学生の肩身がせまいということに疑問を感じている人がいるということを表しています。作家で文芸評論家、さらに大学でも教壇に立っていた高橋源一郎氏の次の言葉はとても参考になります。一部を引用させてもらいます。

「『大学で文学を学ぶのは、就職に不利なのではないか。』中高生の中には、そう感じている人もいるでしょう。『文学って何の役に立つの?』と疑問を抱く人もいるかもしれません。私はもしその答えを『すぐに知りたい』と思うのであれば、その考えは間違っていると断言します。(略)正しい答えはないが、あえて言うなら、自ら問いを立て、自ら答えること、さらに問い続けることを考えさせる何かだと、僕は思っています。」

「人は無意識のうちに社会の常識や因習に縛られている。文学は、自分を縛る鎖の存在に気付かせ、断ち切ってくれる、自分を自由にしてくれる武器でもある。」

「文学が役に立つか立たないかという設定をまず疑うべきで、文学は問い続けること、答えのないものを見つけても、また新たな問いが生まれ・・・。その循環が止まらないことが文学という現象だと思います。」

〇本校でも朝の10分間読書を継続して取り組んでいます。生徒も多くは自分の選んだ文学や小説を集中して読んでいます。朝の読書推進協議会の大塚理事長さんは、次のように語っています。

「『朝の読書』のねらいとすることは、読書本来の楽しみや喜びを感じ、自由や解放感を味わい、精神の散策や心の癒し、探究心や感性等を、生徒と教師が一緒に読書することで、かけがえのない人生のこの時を、共に生き、共に学び、共に育み、共に歩んでいきましょうということです」

〇「うちどく(家読)」という活動も生まれています。その名の通り、本をきっかけとしたコミュニケーションを家族の間にも広げていこうとするものです。読書は語彙を増やします。語彙が増えると気持ちを伝えやすくなります。登場人物と自分を重ね、考える力を育みます。自然と相手の胸の内を思いやることができるようになり、知識や話題も豊富になって、コミュニケーション能力も高まります。

〇社会で生き延びていく術を身に付けることも、文学を学ぶ意義かもしれません。

須藤昌英