校長室から

手賀沼殉難事件

 第二次世界大戦末期の 昭和19年11月22日 戦争が激化していた時代。男性教員は戦地に赴いており,学校は若い女性教師が支えていました。その女教員の中のお一人「小林富みさん」は本校の前進である風早国民学校大井分教場の先生でした。

 この日は,「東葛飾郡東部教育会」が開催され,午前中は湖北国民学校(我孫子市立湖北小)午後は手賀東部国民学校(現在の手賀東小)で行われる予定でした。

 当時手賀沼には橋がなく,沼を渡るには舟を使っていました。午後の研修会で手賀東部国民学校に行くため,3そうの小さな舟を縄でつないで50名を乗せて漕ぎだしたのですが・・・ 対岸まであと少しという時に突風が吹き,舟は転覆。18名が命を落としました。その中には,13歳の国民学校生徒や生後6か月の乳児もいたとのこと。富勢,風早,手賀の教員15名(16歳~49歳)が犠牲になりました。

 平成29年には,本校の先生だった小林富みさんのご子息である小林健さん(五條谷在住)が本校に来てくださり,この悲しい事件についてお話ししてくださいました。戦争中のこととは言え,今でも許すことができない,納得できない辛い思いでいるそうです。

 当時小林さんは14歳。その後お父様は戦死され,残された幼い妹と年老いたご祖母様を抱えながら,お母様が別れ際に言った言葉「しっかり勉強しなさいよ!」という言葉を胸に生計を支えながら必死に勉強したとのことでした。

 今年度,小林さんに再度本校でご講演いただくことはできませんでした。しかし,この事件のことは,決して忘れてはいけないと思います。

 本校を支えていた大先輩の無念の思いを忘れずに,よい教育・よい学校にするために努力することを誓います。どうぞ見守っていてください。

 令和3年11月24日  校長 大木恵子